永遠のいのち

ヨハネの福音書6章31節~40節

卵には大きく分けて二種類あります。「有精卵と無精卵」です。有精卵は雄鶏と雌鶏によって生まれた卵で、その卵を温めると「ひよこ」になります。しかし、無精卵は雌鶏だけでできるたまごで、その卵を温めても「ひよこ」にはなりません。なぜなら、有精卵は命がある卵ですが、無精卵は命がない卵だからです。一般にスーパーで売られている卵はこの無精卵と呼ばれる卵です。有精卵も無精卵も味にはそれほど違いがないそうです。

また、命にも二つの命があります。「地上の命」と「永遠のいのち」です。地上の命はどんなに長生きしても百歳ぐらいが限度で、最後は死が訪れます。永遠のいのちとはこの地上で永遠に生き続けることではありません。永遠のいのちを持っていても、地上における死は訪れます。しかし、永遠のいのちを持つ者は、その死で終わりではなく、天の御国で永遠に神と共に生きることが出来ます。元々、神が天地を創造された時、死は存在しませんでした。しかし、アダムとエバが神の戒めに背き、サタンの誘惑に負けて、善悪の知識の実を食べたことによって人は死に支配されるようになりました。それゆえ、私たちがこの「永遠のいのち」を持つためには、罪の問題を解決しなければなりません。私たちはアダムとエバの子孫として、罪を犯しやすい性質「原罪」を持って生まれました。では、私たちはどうすれば、この罪の問題を解決することが出来るでしょうか。神は、モーセを通してイスラエルの民に律法を与えました。ユダヤ人は律法を学び、律法を守ることによって罪のない正しい人になろうと努力しました。彼らは一所懸命に律法を守ろうとしましたが、逆に罪の意識に囚われ、罪から解放されることはありませんでした。

神は、私たちの罪の問題を解決するために、ひとり子であるイエス・キリストを人としてこの地上に誕生させました。それがクリスマスです。イエス・キリストは33年間、人として生活し、一度も罪を犯すことがありませんでした。祭司や律法学者たちは、イエス・キリストを神の子と理解することが出来ず、十字架につけて殺してしまいました。しかし、イエス・キリストは神の子であるゆえに死より三日目に復活され、多くの弟子たちの前に姿を現し、天に昇って行かれました。これがイースターです。私たちの罪の問題を解決するためには、罪のない者が私たちの身代わりとならなければなりません。罪のない者とは神様しかおられません。しかし、神は霊的な存在で、死ぬことが出来ません。それゆえ、神の子イエス・キリストは神の姿を捨てて、人となり、私たちの罪の身代わりに、十字架で命を捨て、死より三日目に復活されることによって、私たちの罪の問題を解決してくださったのです。

五つのパンと二匹の魚で、男性だけで五千人の人々を満腹させた奇蹟は有名です。マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書に書かれています。マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書は、この奇蹟を通して、イエス・キリストが普通の人ではなく、神の子として、奇蹟を行う力がある事が強調されています。しかし、ヨハネの福音書では、この奇蹟よりも、この奇跡を通して、イエス・キリストとは誰であるかを私たちに伝えようとしています。ユダヤ人たちはこの奇蹟を体験したとき、その多くが旧約聖書出エジプト記のモーセを思い出したことでしょう。イスラエルの民は40年という長い年月、荒野の生活の中で、神が与えてくださったマナという食べ物によって養われました。ユダヤ人たちは五つのパンと二匹の魚の奇蹟を通して、イエス・キリストこそ、モーセのような預言者であると信じたのです。しかし、イエスはさらに驚くことを彼らに言いました。ヨハネの福音書6章35節「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」48節「わたしはいのちのパンです。」49節「あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べましたが、死にました。」50節「しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。51節「わたしは天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」53節「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはありません。』」54節「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」55節「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物です。」58節「これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」これを聞いて人々はどのような反応を示したでしょうか。60節「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」66節「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。」とあります。彼らは、イエスの話された意味を理解できずに、イエスから離れてしまいました。イエス・キリストはご自分が永遠のいのちを持っており、イエス・キリストを神の子と信じる者に永遠のいのちが与えられると言われたのです。

イエス・キリストは誰で、何をされたお方でしょうか。私たちは学校の歴史の時間にイエス・キリストが十字架につけられて殺されたということは学びます。しかし、その後の復活については全く知らされません。イエス・キリストが十字架で殺されただけであるなら、モーセやダビデと同じ偉大な人物で終わってしまいます。イエス・キリストは誰で、何をされた方か、それが一番大切なことで、聖書の中心をなすものです。聖書は、イエス・キリストは神の子であり、十字架につけられ殺されたが、死より三日目に復活され、天に昇られたと教えています。それを信じることが、イエスが言われた、イエスの肉を食べ、血を飲むことです。あなたにとってイエス・キリストはだれでしょうか。何をしてくださった方でしょうか。マタイの福音書16章15節でイエスは彼らに言われました。「あなたがたは、わたしを誰と言いますか。」16節「シモン・ペテロが答えた。『あなたは生ける神の子キリストです。』」もし、今イエス様に同じような質問をされたとしたら、あなたは何と答えるでしょうか。イースターという記念の日に、イエスについて、十字架の意味について、自分の罪について考えたいと思います。