サマリヤの女性と姦淫の女性

「サマリヤの女性と姦淫の女性」ヨハネ4章3節~26節

先週は、ユダヤ人たちに嫌われた職業、取税人のマタイとザアカイから学びました。今日は、サマリヤの女性と姦淫の現場で捕らえられた女性から学びます。

1.サマリヤの女性。(ヨハネの福音書4章3節~26節)

キリスト時代のパレスチナの地図を見ていただくと、ユダヤの上にサマリヤがあります。この二つの地方は、元は一つの国でした。ところが、ソロモン王が亡くなると、北王国イスラエルと南王国ユダの二つの国に分裂してしまいました。また、北王国イスラエルは紀元前720年にアッシリアに滅ぼされてしまいました。その際、アッシリアの王は、北王国イスラエルに外国人を移住させる雑婚政策を行いました。そのため、イスラエル人は他国の民族と混じり合い、純粋なイスラエル民族の血を失ってしてしまいました。また、南王国ユダも紀元前585年にバビロニヤに滅ぼされてしまいました。バビロニヤの王は、南王国ユダの有力な民を自国に強制移住させました(バビロン捕囚)。しかし、南ユダの人々は、70年後に捕囚が赦され、国を再建する許可を王から得ることができました。そして、約4万2千人がユダの地に帰りました。彼らは、まず、神殿建設に取り掛かりますが、そのとき、サマリヤの人々も協力したいと申し出ました。しかし、ユダヤの人々はそれを拒否し、自分達だけで神殿を建て始めました。サマリヤの人々は怒って彼らの神殿建設を邪魔しました。結局、ユダヤ人は20年かけて自分たちだけで神殿を建設したのです。サマリヤ人たちも、ゲリジム山に神殿を築き、独自のサマリヤ教団を作り、ユダヤの人々と激しく対立するようになったのです。

ヨハネの福音書4章4節「しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。」とあります。ユダヤ人はサマリヤ人と敵対関係にありましたから、ユダヤ人はサマリヤを避けて、ヨルダン川の東側の道を通りました。しかし、イエス様は一人の女性を救うために、あえて、サマリヤの町に入られたのです。イエス様が井戸のかたわらで休んでおられると一人の女性が井戸に水を汲みにやって来ました。その時間はユダヤの時間で第六時ごろであったとあります。今の時間で表すと昼の12時にあたります。この地方の日中の温度は高く、人々は朝早く水を汲み、日中は外に出ることはありませんでした。それなのに、この女性は、日中の暑い時間に水を汲みに出てきたのです。明らかに、人に会わないように日中に水を汲みに来たのです。イエス様は彼女に水を飲ませてくださいと声をかけました。すると彼女は驚いてイエス様に言いました。9節「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」イエス様は飲み水のことで、彼女との会話のきっかけを作りました。彼女の問題は「愛情飢餓」で、何人もの男性との関係を持ちながらも、心の空白を埋めることができないことでした。現に、彼女は5人目の男性と生活していましたが、その男性も正式な夫ではありませんでした。イエス様はそのこともご存知でした。彼女は初めて会ったイエス様に自分の問題を指摘され、イエス様をただの人ではなく、預言者ではないかと考えるようになりました。そこで、彼女はイエス様に、宗教的な質問をしました。サマリヤ人はゲリジム山で礼拝し、ユダヤ人はエルサレムで礼拝するのが正しいと主張していたからです。イエス様は、神を礼拝するとは、場所が問題ではなく、誰を礼拝するのが正しい礼拝なのかを教え、ご自分こそ、旧約聖書で預言された真の救い主であることを証しされたのです。そして、彼女は出て行って人々にイエス様のことを伝えました。また、サマリヤの人々はイエス様の話を通して、多くのサマリヤ人がイエス様を救い主と信じました。イエス様はこの一人の女性を救うためにサマリヤの町に来られたのです。

2.姦淫の現場で捕らえられた女性(ヨハネの福音書8章1節~11節)

ユダヤの法律、律法によれば、姦淫の罪は重く死刑にされることが定められていました。しかも、多くの人に石を投げられて殺す「石打の刑」という残酷な刑罰が行われていました。ヨハネの福音書8章の頃には、イエス様の人気が高まり、人々がイエス様のお話を聴くために多くの人々が集まっていました。それを見た、ユダヤ教の指導者たちはイエス様に危機感を覚え、何とか、イエス様の人気をおとしめようと考えていたのです。律法学者とパリサイ人はそのために姦淫で捕らえた女性をイエス様の前に引き出したのです。モーセの律法によれば姦淫の現場で捕らえられた者は石打の刑です。当時、ユダヤの国はローマによって支配されていました。ローマ政府はユダヤ人に死刑の権限を与えていませんでした。死刑の判決を得るためにはローマ総督の許可を必要としたのです。もし、ここでイエス様がこの女性に対して死刑の判決を下すならば、イエス様がローマの法律を無視したことになり、律法学者パリサイ人たちは、イエス様をローマの法律に違反した者として、ローマ政府に訴えるつもりでした。また、イエス様が彼女を赦すならば、イエス・キリストはユダヤの法律、律法に背いた罪で、ユダヤの裁判でイエス様を罪に定めるつもりだったのです。どちらの判断をしたとしても、イエス様を訴えるための、律法学者たちのわなでした。ここで、イエス様は何も答えず、身をかがめて地面に何かを書いておられたとあります。しかし、彼らが問い続けるので、イエス様はこのように言われました。7節「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」それを聞いて、年長者からはじめて一人一人出て行き、イエス様ひとりのこされたとあります。人々はイエス様のことばを聞いて、自分の罪を思い出し、イエス様の前から去って行ったのです。ここに人間の本当の姿が示されています。律法学者、パリサイ人たちは、一生懸命、神様の戒めを守るように努力していました。しかし、彼らも、イエス様のことばを聞いて自分の罪を指摘され、彼女の前から身を去らせたのです。

結論。

救いについて、キリスト教も仏教も二つの考えを持っています。それは、「自力と他力本願」という考え方です。「自力」とは、自分の力で救いを達成すること。旧約聖書の教えでは、神様の律法を守ることによって救いを得るという考え方。仏教でいえば、様々な修行を修めて、救いに到達するという考えです。それに対して「他力本願」の考え方は、人間の努力では救いに到達することはできないという考えです。そこで、人間の力を越えた存在が登場します。キリスト教で言えばイエス・キリスト。仏教でいえば阿弥陀如来ということになります。しかし、イエス・キリストは実在の人物ですが、阿弥陀如来は人間が考え出した存在です。また、阿弥陀如来は、仏になる時、48の願をしました。そして、その18番目の願が「阿弥陀の本願を信じて念仏をするものを必ず、浄土に往生させてください。」という願いでした。その願いが聞かれて、阿弥陀様の名前を唱える者は極楽浄土に入れると教えたのです。しかし、この教えには何の歴史的事実もありません。人間が考え出した観念の世界です。しかし、イエス・キリストが歴史の中に実在し、十字架に付けられて殺されたことは事実です。ただ、三日目に復活されたことの証拠はありません。そこは、信仰によって信じるだけです。しかし、イエス・キリストは私たちの救いのために、血を流し、痛みを負って死んでくださったことは歴史的事実です。ここに他の宗教にはない、神の愛が記されているのです。イエス・キリストは、正しい者のために死なれたのではありません。人々に嫌われた取税人のマタイやザアカイ、愛に飢え渇いたサマリヤの女性、姦淫の現場で捕らえられた女性、また、罪人である私たちのために、十字架で苦しみ、死を持って私たちの救いを完成してくださったのです。ここに、私たちがイエス様を信じる、愛する最大の根拠があるのです。