サライとエジプトの女性ハガル

創世記16章1節~16節

アブラムの人生を通して、信仰による歩みについて学んでいます。今日はアブラムの妻サライとエジプトの女性ハガルから学びます。

1、アブラムの妻サライ

アブラムが神のことばに従ってカナンの地へ旅立ったのが75歳でした。その時、サライは65歳でした。75歳で親族から離れて、見ず知らずの土地カナンの地へ旅立つことはアブラムにとって大きな決断でした。妻のサライはこのことをどう受け止めたのでしょうか。当時は極めて男性優位の社会だったので、妻として、夫の判断に反対することもできず、不安な思いを持ってカナンの地に向かったのではないでしょうか。また、エジプトに入る時も、夫のアブラムに妹と偽るように命じられました。この時、彼女はこの事をどう受けとめたのでしょうか。聖書はそのところのサライの気持ちが書かれていないので知ることはできません。彼女自身エジプトに下ることに不安を覚えたのではないでしょうか。

先週、創世記の15章で、将来に対する不安を持つアブラムに、神が現われ彼に空の星を見せることによって、アブラムの子孫がこの星の数ほど増えることを約束してくださいました。アブラムは星を見て神の約束が確かなことを認めました。アブラムは信仰を持って神の計画を受け入れたのです。ところが、今日の箇所でアブラムは妻サライの計画に簡単に同意し、エジプトの女性ハガルを妻に迎えてしまいました。そして、ハガルは身ごもりました。サライはなぜ、アブラムに自分の女奴隷ハガルを差し出し、アブラムはなぜ、彼女(ハガル)を受け入れたのでしょうか。当時の女性の役割は、夫のために子をたくさん産むことでした。また、社会はその様な女性を称賛しました。逆に、子を産めない女性は、神の祝福を受けられない者として社会的に低く見られました。また、当時は一夫多妻が許されている時代ですから、妻が子を産めない場合、他の女性を妻に迎え子を得ることは普通の事でした。75歳までアブラムがサライの他に妻を迎えなかったことは特別なことで、そこに夫アブラムの妻サライに対する配慮があったものと考えられます。

さらにこの場面は、二人がカナンに滞在し約10年後のことです。アブラム85歳、サライ75歳になっていました。サライにしてみれば、自分が子を産む力がないことを認めなければなりませんでした。アブラムも年を取り、これ以上神の約束を待つことが出来なくなってしまいました。サライはアブラムのために、自分の女奴隷エジプト人の女性ハガルを妻としてアブラムに差し出したのです。彼女の気持ちを考えると、つらい決断であったと思います。アブラムはどう思ったでしょうか。妻自身が自分の女奴隷を差し出したという事に対して、アブラムはそれほど重く受け止めていなかったかもしれません。子孫を残すためには仕方がないと考えたかもしれません。神の約束は15章4節「あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの後を継がなければならない。」でしたから、サライが産まなくても、他の女性が産んでも良いと考えたのでしょう。アブラムは神に祈ることなく、このことを決めてしまいました。後に、この事が、二人にとって大きな禍となりました。

 

2、エジプトの女奴隷ハガル

ハガルは、アブラムの家族がエジプトに滞在しているときに、サライに仕える女奴隷として雇われたのでしょう。当時の奴隷の身分は低いものでした。主人であるサライは美しい女性でしたが、子を産めない不妊の女性でした。ハガルは主人であるサライをどう見ていたのでしょうか。ハガルは主人であるサライから自分の夫であるアブラムの妻となるように命じられました。奴隷ですから、主人の命令に逆らうことはできません。ハガルの年は分かりませんが、ハガルは突然、85歳に近い男性の妻にさせられたのです。サライよりも若いハガルはすぐに身ごもりました。跡継ぎのいなかったアブラハムの家に子が生まれることになりました。アブラムはどんなに喜んだことでしょう。周りの人々もハガルを褒めたたえたことでしょう。ハガルは、一番低い女奴隷の立場から、跡継ぎの母になることが確定したのです。彼女は高慢になり、自分の女主人であったサライに対して横暴な態度をとるようになりました。そのことは、主人であるサライにとって耐えられない屈辱でした。この事は自らの知恵によって行ったことですが、思いもよらない出来事に、この怒りを夫であるアブラムに向けました。5節「サライはアブラムに言った。『私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。』6節「アブラムはサライに言った。『見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。』それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。」とあります。この問題は、サライが自分の女奴隷ハガルをアブラムの妻に差し出したことが原因です。しかし、この結果は彼女の想定外でした。自分が自分の女奴隷に見下げられるという屈辱を受け入れがたく、彼女は責任をアブラムに転嫁したのです。アブラムがハガルをサライの手に渡し、サライがハガルをいじめたので、ハガルはそれに耐えかねて、アブラムの家を飛び出しました。

神はそんなハガルを見捨てることはありませんでした。7節「主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた」8節「そして言った。『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』すると彼女は言った。『私の女主人サライのもとから逃げているのです。』9節「主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」10節「また、主の使いは彼女に言った。『わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。』」13節「そこで、彼女は自分に語りかけた主の名を『あなたはエル・ロイ(私を見て下さる神)』と呼んだ。彼女は、『私を見て下さる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは』と言ったのである。」とあります。ハガルはサライの所に戻り、男の子を産みました。アブラムはその男の子にイシュマエル(神は聞く)と名付けました。

アブラムの妻サライは、自分が子を産めないのを認めて、アブラハムに子孫を残すためには、自分の女奴隷のハガルをアブラムの妻として差し出す以外には、方法はないと考えました。アブラムが子孫を得ることは神の約束でしたが、サライは神の時を待つことが出来ず、自分の知恵を優先してしまいました。アブラムもサラの計画に同意しました。アブラムもサライも神に祈ることなく、自分の考え、計画を実行してしまいました。この事は私たちの人生にも起こりえる問題です。神の時を待つとは、神への信頼と信仰が無くてはできません。この時の二人には、まだ、神の時を待つという信仰が身についていませんでした。この後、イシュマエルが生まれました。しかし、さらにアブラムが100歳、サライが90歳の時にイサクが生まれました。結局、アブラムはイシュマエルとハガルを追い出すことになります。

ハガルは女奴隷という低い身分から、アブラハムの跡継ぎの母という特別な地位を得ました。しかし、彼女は高慢になり、主人であるサライからの嫌がらせによって、アブラムの家を飛び出しました。神は彼女を祝福し、アブラムの家に帰り身を低くするように命じました。また、生まれる子が神の祝福を受ける者となることを信じてアブラムの家に帰りました。

私たちも同じように、突然、高い地位を得ると、高慢になりやすい者です。大事なことは、常に神の前に身を低くすることです。ペテロの手紙第一5章6節「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなた方を高く上げてくださいます。」7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」神は常に私たちの事を心配して最善の時を備えてくださいます。信仰による歩みとは、常に神を信頼し、神の時を待つことです。