ノアの箱舟と虹の契約

創世記6章1節~22節

先週はアダムとエバの子カインとアベルから学びました。カインは弟アベルを殺し、エデンの園から、さらに遠くへと追いやられてしまいました。そして、カインの子孫は、神とは関係ない自分の欲望を満たす社会を形成していきました。神はふたりの息子を失ったアダムとエバに、もうひとりの子を与えられました。そして、その子はセツと名付けられました。それから、セツの子エノシュがうまれ、そのころから、人々は主の名を呼ぶことを始めたとあります。ここに神から離れたカインの子孫と神の名を呼ぶセツの子孫が誕生したのです。

1、箱舟を造るノアの家族(創世記6章)

創世記の6章に入って、2節「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ、自分が選んだ者を妻とした。」とあります。ここで「神の子ら」と「人の娘たち」が何を指しているのかは、いくつかの説があります。私は、聖書の個所の前後関係から考えて、「神の子ら」がセツの子孫。「人の娘たち」がカインの子孫を指しているのではないかと考えています。そして、この二つの子孫が混じり合い、悪が増大し、神の審判として、地上の者がノアの家族と箱舟に入った動物以外のすべての生き物が滅ぼされたのです。5節「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをごらんになった。」6節「それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」とあります。神は、この地上が悪で満ちていくのを憂いて、人を造ったことを悔やみ、地上を洪水で滅ぼされることを決心されました。神は、罪を犯したアダムとエバのいのちを助けられました。さらに、二人に皮の衣を与えられるほど、二人を愛していました。しかし、ノアの時代は、あまりにも人の悪が増大しすぎて、見逃すことができないほどになってしまいました。そこで、神は断腸の思いで、地上を洪水で滅ぼすことを決断されたのです。

しかし、ここに一つの希望がありました。ノアの家族です。9節「ノアは正しい人で、彼の時代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とあります。神はノアに仰せられました。13節「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅び去る。」14節「あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。」17節「わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上の大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべての者は死に絶える。」18節「しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。」神はノアに、長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルの大きな箱舟を造るように命じられました。今でこそ、巨大な機械があり、工具がありますが、ノアの時代のことを考えると、この神の命令は不可能なことばではなかったでしょうか。しかし、創世記6章22節に「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」とあります。先ほどの6章9節「ノアは正しい人で」とありましたが、ノアの正しさとは、行いだけではなく、神のことばに真剣に耳を傾け、それを行うことができる人という意味だったかもしれません。実際、ノアは神のことばを聞き、家族8人で協力して、当時としては考えられないほどの、大きな箱舟を完成させたのです。

2、虹の契約(創世記11章)

聖書の中心をなすものに、神と人間の契約があります。聖書に記された、神と人との契約においても、二種類の契約があります。一つは、モーセを通して与えられた律法のように、戒めを守れば祝福され、戒めを破れは呪いを与えられると言う契約です。これを一般的には「業の契約」と呼びます。もう一つは、主人がしもべに一方的に契約を結ぶ「恵みの契約」と呼ばれるものです。虹の契約は「恵みの契約」に当たります。創世記9章11節「わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」

この契約は、神が一方的に人間と結んでくださった契約です。神は、人間が正しい人に成ったら洪水を起こさないと言われたわけではありません。人間の行いには関係なく、神が一方的に、洪水では人を滅ぼすことはないと約束してくださったのです。また、神はこの契約が確かなことを証明するために虹を用いられました。人間と人間との契約においても、契約書を交わします。それは、この契約が確かなことを証明するために作られるものです。13節「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。」17節「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」とあります。この時初めて神が虹を作ったという意味ではありません。虹は自然現象として以前からあったはずです。ここで言われていることは、神は、虹を契約のしるしとしてくださったと言う意味です。人々は契約を確かなものとするために、契約書にサインをします。神は、この契約を正式なものとするために虹を契約のしるしとされたということです。私たちは忘れやすい者です。そこで、私たちが神の契約を忘れないように、虹を見たら神の契約を思い出すようにされたということです。

3、惠の契約

ノアの箱舟のできごとは、イエス・キリストによる十字架の救いを表しています。ノアは、家族の救いのためだけに箱舟を造ったわけではありません。家族だけの救いならば、あれほど大きな箱舟は必要なかったでしょう。また、ノアは人に隠れて箱舟を造ったわけではありません。人々は、ノアが箱舟を造っていることを知っていたでしょう。また、ノアは人々になぜ箱舟を造っているのか、洪水が起こることも伝えていたものと考えられます。しかし、人々はノアの話を信じることなく、昼間から、酒を飲んだり食べたり宴会騒ぎをしていたのです。そんな中、ノアは箱舟を完成させたのです。人々が洪水から救われるためには、箱舟に入れば、洪水から救われたのです。「恵みの契約」の特徴は、ただで、だれでも受けることができる契約(恵み)です。イエスによる救いも、すべての人に向けられた神からの恵みの救いです。マタイの福音書20章にある、イエスのたとえ話「ぶどう園で働く労務者」のたとえ話はそのことを分かりやすく説明しています。ぶどう園の主人は朝早く労務者を雇いに行き、一日一デナリで契約を結びました。その後も主人は九時ごろ、十二時ごろ、三時ごろ、五時頃にも出かけて行って、労務者を雇いましたが、その時は賃金をいくらとは決めていません。仕事が終わり、監督者が最後の一時間だけ働いた者から賃金が支払われました。彼らに支払われた賃金が一デナリで、一日分の賃金でした。それを見ていた朝早くから雇われた者たちは、契約した一デナリよりも多くもらえると期待しましたが、彼らに支払われたのも一デナリでした。彼らは朝早くから働いたのに、一時間しか働かなかった者と同じ賃金が払われたことに腹を立て主人に文句を言いました。主人は彼らに言いました。マタイの福音書20章13節~15節「友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。」主人が最後の人に支払ったのは、賃金ではなく「主人からの恵み」でした。私たちは罪を犯し天の御国に入ることができない者になってしまいました。しかし、神は私たちを哀れに思い、救いの道を備えてくださいました。神がノアに箱舟を造らせ、救いの道を備えてくださったと同じように、神は、神の子イエスを人として誕生させ、十字架で命を取ることによって私たちに救いの道を備えてくださいました。それこそが神による本当の「恵みの契約」なのです。