万軍の主はわれらと共におられる

詩篇46篇1節~11節

今年も終わりに近づきました。明日から2024年が始まります。2023年はロシアのウクライナへの軍事侵攻、また、イスラエルとハマスとの戦いによって、多くの戦争被害が起こりました。また、自然災害も各地で起こりました。2024年はどのような年になるのでしょうか。願わくは、戦争や争いのない平和な社会を望みますが、現状を見るとさらに悪化するように思えます。日本も国を守るためと言い、防衛費がさらに増やされるでしょう。憲法9条も改正されるかもしれません。将来的には、国を守るためという名目でアメリカかから、軍事協力を要請されるかもしれません。これから、ますます、国を守るために自衛隊を強化し防衛費を増していくことも考えられます。はたして、武力を強化することが国を守ることになるのでしょうか。

エジプトの国は、アブラハムの時代から大国として、周りの国々に大きな影響を与えていました。また、北のアッシリアやバビロンの国が大きくなると、イスラエルの国はエジプトとアッシリアやバビロンという大国に挟まれて、政治的にも難しい立場に立たされました。特に南ユダ王国は、ある時は、アッシリアやバビロンに助けを求め、ある時はエジプトに助けを求めるという政治的混乱が起こりました。歴代誌第二14章2節~4節「アサは、自分の神、主の目にかなう良いことを行った。彼は異教の祭壇と高き所を取り除き、石の柱を砕き、アシェラ像を切り倒し、ユダの人々に命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。」とあります。アサは南ユダ王国三代目の王様です。彼は信仰深い王様で、異教の祭壇を取り除き、アシェラ像を切り倒し、イスラエルの民に主を求めさせました。その時、国は平和でした。9節「さて、クシュ人ゼラフが、彼らに向かって百万の軍勢と三百台の戦車を率いて出陣し、マレシャにまで攻めてきた。」とあります。アサはどうしたでしょうか。10節11節「アサは彼らに対して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。アサは自分の神、主を呼び求めて言った。『主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのもあなたに変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。』」アサは神に祈りました。すると、12節「主はアサとユダの前でクシュ人を打たれたので、クシュ人は逃げ去った。」とあります。しかしアサは晩年判断を誤ってしまいました。アサの治世の第36年に北イスラエルが攻めてきました。この時、アサは主の宮と王宮の宝物倉から銀と金を取り出し、アラムの王に助けを求めました。アラムが北イスラエルに攻め込んだために、北イスラエルの軍隊は国を守るために国に引き返しました。アサの取った方策は軍事的には正しい方策です。しかし、彼はなぜ、神に助けを求めなかったのでしょうか。神は預言者を遣わし、彼の愚かな決断をいさめました。しかし、彼は悔い改めることなく、その預言者を投獄してしまいました。その後、彼は両足を病んで苦しみましたが、その時も主を求めず、医者を求めたとあります。医者を求めることは悪いことではありませんが、彼の場合、主に助けを求めないで、医者に依り頼んだことに問題がありました。彼は、若いころの信仰を捨て、神に祈るという一番大切な事を忘れてしまったのです。

イエスの有名なたとえ話に、「岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家」があります。マタイの福音書7章24節~27節「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家は、見た目には変わりはありません。しかし、その土台が違えば、災害の時に大きな違いが現れます。ここで言われている雨や洪水は、私たちの人生に起こる、苦しみや悲しみ苦難の時ではないでしょうか。その時、私たちは何に依り頼むでしょうか。ここで、岩の上とは、イエスの教えを聞いて行う人だと説明されています。砂の上は聞くだけで行わない人のことです。つまり、岩の上に建てられた家は、神(神の教え)を土台として生きる人のことです。また、砂の上の家は、たとえ、神の教えを聞いたとしても、それに従わないで、目に見えるもの、つまり財産や権威やこの地上の力に依り頼む人のことです。

先ほどの、アサ王は若い時は、神に助けを求め、信仰に熱心な王でした。しかし、その晩年、財産や目に見える権力、力に助けを求めました。その事は私たちも陥りやすい弱さです。2024年はどのような一年になるか予想もできません。しかし、神の愛と力は永遠に変わることはありません。詩篇46篇の作者は1節2節「神は われらの避けどころ また力。苦しむとき そこにある強き助け。 それゆえ われらは恐れない。」とうたいました。7節「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。」11節にも同じ言葉が続きます。「避けどころ」「砦」は親鳥がひなを翼で覆うような感じを思い出します。神が共におられるという言葉は、イザヤが救い主の誕生について語った預言の言葉インマヌエルということばを思い出します。イエスが天に昇るとき、弟子たちに言われました。マタイの福音書28章20節「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」イエスが天に昇られ、イエスの代わりに聖霊が下り私たちとともにおられます。私たちは目に見えない神より、目に見える財産や権力に依り頼みやすい者です。来年一年、目に見える力や権力に頼ることなく、世界を治めておられる真の神、主のみに依り頼みたいと思います。