イエスの誕生をお祝いした人々

 

マタイの福音書2章1節~12節

先週は、礼拝の後、スペシャル放課後タイムのクリスマス会を行いました。22名のこどもたちが集まって楽しい時を過ごしました。こどもたちに何が一番楽しかったかを聞いたとしたら、多くのこどもたちがドーナッツをたくさん食べたことと答えるのではないかと思います。二番目はゲームをしたことでしょうか。それでもかまわないと思います。こどもたちの思い出の中に、教会でクリスマスを楽しんだという思いが残れば、その中で、少しでもクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う特別な日だと思ってくれたらと思います。

神は、色々な方法で人々にイエス・キリストの誕生について知らせています。

1、東方の博士たち(マタイの福音書2章1節~12節)

マタイの福音書2章に博士たちが登場します。当時の博士というのは、主に占星術を行う者で、星の動きで社会の動きや天候を占いました。中には王様に仕え、高い地位を与えられた者もいました。彼らが星の動きを観察していると東の方に不思議な星を見つけました。不思議な星の誕生は一国の王の誕生を意味していました。そこで、彼らはその星を求めて東の方からエルサレムにやって来たのです。

彼らはヘロデ王に言いました。2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」ヘロデ王は聞いて動揺したとあります。自分が知らない新しい王が誕生したということは、彼にとって自分の地位を脅かす者の誕生です。この後、彼はその新しく生まれた王を殺すために、博士たちに自分もその王を拝みたいので、居場所がわかったら教えてほしいと言い、彼らを送り出しました。この時、すでにヘロデ王は幼子の殺害を計画していました。博士たちは、幼子を礼拝した後、夢でヘロデの所に戻らないように告げられ、別の道から自分の国に帰ったとあります。それを知ったヘロデ王は、ベツレヘムの周辺に生まれた二歳以下の男の子を皆殺しにしました。

その前に、ヘロデ王は祭司たち、律法学者たちを集め、4節「キリストはどこで生まれるのかと問いただした。」とあります。彼らはこのように答えました。5節「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。」6節「ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである」彼らは旧約聖書のミカ書5章2節のことばを通して、救い主がユダヤのベツレヘムで生まれることを知っていました。しかし、彼らは、この後、博士たちと救い主を礼拝するために出かけたでしょうか。聖書には何も書かれていません。彼らは行かなかったのです。彼らはなぜ、旧約聖書で約束されたキリスト(救い主)誕生をお祝いしに出かけなかったのでしょうか。聖書には書かれていないので推測するしかありません。当時、ユダヤの国はローマ政府によって支配されていました。しかし、この時のローマ政府は宗教の自由を認めていました。また、ユダヤは特別に自治権が与えられ、国会のような議決制度、ユダヤ人の代表による政治が認められていました。それをサンヘドリンと呼びます。サンヘドリンは祭司階級の議員サドカイ派と律法学者の議員パリサイ派によって占められていました。ローマ政府はサドカイ派と深い関係を持ち、サドカイ派は豊かな暮らしをしていました。パリサイ派は律法(神の戒め)を研究し、人々にそれを守るように指導するユダヤ教の指導者で民衆から尊敬されていました。彼らにとって、今の状態は満足するものであり、キリスト(救い主)の誕生は必要ありませんでした・それゆえ、彼らはだれも救い主を捜しに行こうとしなかったのです。

2、羊飼いたち(ルカの福音書2章8節~20節)

ルカの福音書には、御使いが登場し、救い主の誕生を羊飼いたちに伝えたことが記されています。8節「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。」とあります。当時の羊飼いには大きく二つに分かれます。たくさんの羊を飼っているお金持ちの羊飼いと雇われている羊飼いです。ここに登場する羊飼いたちは雇われた貧しい羊飼いたちだと考えられます。彼らは、羊飼いという仕事のために、神が定めた安息日を守ることが出来ませんでした。それゆえ、彼らは罪人と呼ばれ人々から蔑まれていました。その貧しい羊飼いたちの前に御使いが現れたのです。9節~14節「すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。』すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。『いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。』」この素晴らしい光景を見た羊飼いたちはどうしたでしょうか。15節「御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。『さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。』」彼らは急いで幼子を捜しに出かけました。16節「そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。」とあります。そして、彼らは人々にこの出来事を伝えました。それを聞いた人々は驚いたとあります。

このように、救い主イエスの誕生をお祝いした人々は、東方の博士たちと貧しい羊飼いたちでした。救い主の誕生をお祝いしなかったのは、ヘロデ王と祭司、律法学者たちでした。

東方の博士たちや羊飼いたちは、救い主の誕生の知らせを受けてすぐに探しに行きました。しかし、祭司たちや律法学者たちは救い主の誕生の話を聞いても捜しに行きませんでした。彼らは、救い主の誕生に興味がなかったのです。私たちはどうでしょうか。今の生活に満足している人にとって、イエス・キリストの誕生には興味はありません。イエスの有名なことばに「求めなさい、そうすれば与えられます。」があります。救い(罪の赦し)はすべての人に与えられた神の恵みです。しかし、自分の罪が分からない人には、その価値がわかりません。罪とは、盗みや殺人だけではなく、心の中で人を憎むことや蔑むことも含まれます。また、神を神として尊ばないことも罪です。罪の報酬は死(神の裁き)です。イエス・キリストの誕生と十字架の死は、その神の刑罰からの救いです。私たちは、イエス・キリストの十字架の苦しみを見る時、自分の罪の重さを教えられます。その苦しみは本来、私たち自身が負わなくてはならないものだからです。それほど、罪とは恐ろしいものです。救いとはその苦しみから救われて天の御国で暮らすことです。その差はどれほど大きいものでしょう。それゆえ、イエス・キリスト誕生、クリスマスの日は私たちにとって大きな喜びの日なのです。