天の御国のゴールを目指して

ルカの福音書23章39節~43節 召天者記念礼拝

昔はどこの学校でも10月には運動会が行われました。勉強が苦手な私でも、足が速かったので運動会ではいつもヒーローになれました。私の得意な種目は短距離走で、クラス対抗レースではいつも100メートルを走りました。その反面、長距離(マラソン)は苦手でした。初めは勢いよく走りましたが、中ほどに差し掛かると体力が落ちてずるずると後ろに下がり、最終的にはいつも順位は真ん中ぐらいでした。

マラソンでいつも気になるのがゴールです。あとどれぐらい走ればゴールできるのか。人生もマラソンにたとえられることがあります。私たちの人生のゴールはどこでしょうか。人生のゴールが死(墓場)であるなら、人生とはなんとむなしいものでしょう。確かに私たちは死に向かって生きています。しかし、聖書では死は終わりではないと教えています。死は誰にでも訪れますが、聖書はその先に天の御国(天国)があると教えています。

先程、お読みしましたルカの福音書23章39節において、イエス・キリストと共に十字架につけられた二人の犯罪人がいました。一人はイエスに言いました。39節「十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、『おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え』と言った」とあります。40節~42節「すると、もう一人が彼をたしなめて言った。『おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰をうけているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。』そして言った。『イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。』」43節「イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。』」二人の男がそれぞれイエスに自分の願いを伝えました。初めの男は、おまえがキリスト(救い主)なら十字架につけられたこの苦しみから助けろとイエスに命じました。彼の願いは、今の苦しみから助けられること、この世の苦しみからの救いです。もう一人の男は、今の苦しみからの救いではなく、イエスと共にいること、イエスの御国においてともにいることを望みました。イエスはその彼に言いました。43節「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」「パラダイス」とは天国ではありません。「天の御国」はイエスの再臨の後に訪れる「新しい天地」です。パラダイスはその天の御国が現れるまでに、天に召された人々が住まう場所です。

この個所でもう一つ学ぶことは、天の御国はだれでも入ることが出来るということです。イエスとともに十字架に付けられた人も犯罪人でした。その犯罪人に対してイエスはパラダイスにいると約束してくださったのです。この個所から、どんな犯罪人もイエスに招かれていることがわかります。彼が十字架の上で行ったことは、彼がイエスを神と同等のお方と信じたこと、イエスが無実で十字架に付けられたことを信じたこと。イエスの国(御国)でイエスと共に生きることを求めたことです。これが天国に入る基準です。正しい人、この世に功績のあった人が入るのではありません。自分の罪を認め悔い改めるなら永遠のいのちが与えられるというのが聖書の教えです。

最後にモーセの話をして終わります。ヤコブの家族がエジプトに滞在したときは70人でした。それが時間と共に増え広がり、エジプトの王を恐れさせるほどになりました。エジプトの王はへブル人の人口を抑えるために苦役を与えました。また、男の子が生まれたらナイル川に捨て殺さなければならないと、きつい命令を与えました。そんな迫害の中にモーセは生まれました。初めモーセは両親にかくまわれていましたが、隠しきれないと思った両親はモーセをかごに入れてナイル川の岸に置きました。誰かに拾われてモーセが生きるためでした。ところがそのかごを見つけたのはエジプトの王の娘でした。彼女はその子をかわいそうに思い、自分の子として育てることにしました。それを見ていたモーセの姉ミリアムは王の娘の前に現れ、この子のために乳母を連れてきますと言ってモーセの母を連れてきました。モーセは大きくなるまで、実の母によって育てられ、その後、王宮で王族として育てられました。その後成長したモーセはへブル人の苦しみを見て彼らを助けたいと思いました。ある日、エジプト人に打たれているへブル人を助けようとしてエジプト人を殺してしまいました。そして、その事がエジプトの王に知れることを恐れて荒野へと身を隠しました。神は80歳になったモーセに現れ、エジプトにいるへブル人を助け出し、神が示す地に彼らを導くように命じました。80歳になったモーセは初め神の命令を拒みましたが、神の命令に従ってエジプトに行き十の災害でエジプトの王を苦しめ、男性だけで60万人(女性を含めると100万人以上)のへブル人を連れて荒野へと旅立ったのです。しかし、へブル人の不信仰により40年も荒野をさまよい歩くことになりました。また、その40年もモーセにとってはつらい旅でした。人々は水がない、食べ物が無いとモーセに対して不満ばかりをぶつけ、モーセは神に祈り神の助けを得てようやくカナンの地に近づくことが出来ました。しかし、神はモーセに対してあなたはカナンの地に入ることが出来ないと言われました。それは水がないと民が不平を漏らした時、神はモーセに岩に命じて水を出すように言いましたが、モーセはそのことばに従わず、怒りを持って岩を叩いてしまったからです。その罪によって神はモーセにカナン地に入れないと言われたのです。しかし、それはモーセへの恵みでした。もし、モーセがカナンの地に入ったならば、依然としてモーセの戦いは続くことになります。モーセの役割はへブル人をカナンの地に導くことでした。彼はその使命を全うしたのです。神はモーセにカナンの地ではなく、天の御国で完全な安息を与えるために、モーセを天に召されたのです。

私たちの人生のゴールは死ではありません。死の先にある天の御国です。私たちはそこで家族と再会し、天の御国で永遠に住まうことが出来るのです。私たちのゴールはどこでしょうか。召天者記念礼拝を通して自分の人生のゴールについて考えましょう。