失敗から立ち直ったマルコ

使徒の働き15章36節~41節

聖書は功績のあった人を褒めたたえるために書かれた人物伝ではなく、神のことばです。それゆえ、一人の人間の良いところだけではなく、失敗や悪いことまで正確に記しています。たとえば、ダビデ王はユダヤ人に尊敬される王様ですが、彼が、ウリヤの妻バテシェバと姦淫の罪を犯し、彼女が身ごもったことを知ったダビデは、彼女の夫ウリヤを戦場で殺させ、バテシェバを自分の妻に迎えたことが書かれてあります。なぜ、そこまで書く必要があるのかと考えてしまいますが、それが、神のことばである聖書で、確かに聖書を書いたのは人間ですが、その背後に、神がおられ、神の意志が聖書に記されている所以であると言えるのです。

今日は、マルコによる福音書を書いたマルコについて学びます。マルコの家は、エルサレム市内にあり、大きな家で、イエスや弟子たちは、この家に人々を集め集会を開いていました。マルコの家は裕福で、バルナバとは、いとこの関係でした。また、弟子たちとも親しく、特にペテロと親しく、マルコは後にペテロと共に働き、マルコはその時にペテロから聞いた話をまとめて、マルコの福音書を書いたと言われています。マルコの福音書の14章51節52節に「ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。」と記されています。この事は、マルコの福音書だけにしか記されていません。そこで、ここに登場する青年とは、マルコ自身のことではないかと考えられています。

しばらくして、アンテオケにも教会が誕生し、エルサレムの教会からバルナバが派遣されました。バルナバはそこにとどまり、パウロをアンテオケ教会に連れてきて、共に伝道し大きな働きとなりました。それから、使徒の働き13章において、アンテオケ教会は、パウロとバルナバを宣教師としてキプロスに送り出しました。その時に、マルコも助手としてこの働きに参加しました。しかし、マルコはパポスからパンフィリアのペルゲに渡るときに、エルサレムに帰ってしまったとあります。マルコがなぜ、エルサレムに帰ってしまったのか聖書には書かれていません。さまざまな意見がありますが、彼はまだ若く、宣教師としての心の準備ができていなかったため、キプロスでの働きの時に困難を覚え、自信を無くして、実家であるエルサレムに帰ってしまったのではないかという説もあります。その後、しばらくしてマルコはバルナバによって、もう一度、アンテオケ教会に戻ったものと考えられます。

それから、しばらくしてパウロはバルナバを誘って、二回目の伝道旅行に出かけることにしました。ここで、バルナバはもう一度、この伝道旅行にマルコを連れて行こうとしました。しかし、パウロは、先の伝道旅行の時に、途中で帰ってしまったマルコを連れて行くことに強く反対しました。二人は、強く対立して、別れて伝道旅行することになり、バルナバはマルコを連れてキプロスに渡り、パウロはシラスを連れてシリアおよびキリキア地方へと出かけて行ったのです。その後、聖書はパウロの働きを中心に書かれているので、バルナバとマルコがどのように働いたかはわかりません。

その後のマルコの消息については、パウロの手紙やペテロが書いた手紙を通して知ることができます。コロサイ人への手紙4章10節「バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。」とあります。この時、マルコはパウロのもとで働いていたことがわかります。また、テモテへの手紙第二4章11節「ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」とあります。第二回目の伝道旅行の時、パウロはマルコを連れて行くことに強く反対しました。それが、この時、パウロはマルコが役に立つので、自分の所に彼を連れてきてほしいとテモテに頼んでいるのです。また、ピレモンへの手紙でもマルコを同労者として名前をあげています。確かに、マルコは一度は伝道の苦労のために自信を無くし、家族のいるエルサレムに帰ってしまいました。しかし、バルナバはマルコを呼び出し、彼と共に伝道することによってマルコは成長し、一人前の働き人となり、パウロにも認められる働き人へと成長したのです。

マルコにとっていとこであるバルナバの助けは大きかったと思います。しかし、それだけではなく、背後で働く神の助けがあったからこそ、マルコは神に信頼される者となり、マルコの福音書を書き上げたものと考えます。

神は一度の失敗で私たちを見捨てるようなお方ではありません。先ほどのダビデにしても、バテシェバの問題はありましたが、ダビデが自分の罪を認めて悔い改めることによってダビデの罪は赦され、バテシェバとの最初の子は病気で亡くなってしまいますが、バテシェバはもう一度、身ごもり男の子を生みました。その子はソロモンと名付けられ、ダビデの後継者として偉大な王と成長しました。また、ペテロもイエスの裁判の場で、イエスを知らないと三度、イエスと自分の関係を否定してしまいました。しかし、死から復活されたイエスはペテロに出会い、私を愛しますかと三度、語り掛け、わたしの羊を飼いなさいと赦しの言葉をペテロにかけたのです。それによってペテロも自分の罪が赦されたことを知り、その後ペテロは命を懸けて、イエス・キリストの復活を述べ伝える者になりました。ただ、自ら神の赦しを拒んだもののいました。イスカリオテ・ユダは自分の罪の重さに耐えかねて自ら命を絶ってしまいました。また、テモテへの手紙第二4章10節に「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケ行ってしまいました。」とあります。デマスはパウロの同労者として働きましたが、後に、パウロの働きから離れてテサロニケ行ってしまいました。このように、神は私たちの罪や失敗を何度も赦してくれますが、自ら神の憐れみに心を閉ざすならば、神の愛から離れてしまうこともあります。パウロはローマ人の手紙8章35節「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」37節~39節「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」と教えています。神は私たちが自分の罪、失敗を認めて悔い改めるなら、何度でも私たちを赦し、立ち上がらせてくださる神なのです。