間違った母の愛リベカ

創世記27章5節~17節
今日は、母の日なので、聖書に登場するお母さんを取り上げてお話をいたします。アブラハムは息子イサクのお嫁さんを探すために、自分の信頼するしもべを、自分の親族の地へと遣わしました。そこで出会ったのがリベカです。彼女は、アブラハムのしもべが神に祈ったように、彼が飲み水を求めると、あなたのらくだにも水をあげましょうと、走って水を汲みに行き、すべてのラクダに水を飲ませたとあります。彼女は働き者で賢い女性でした。また、アブラハムのしもべが早く主人のもとに彼女を連れ帰りたいと親族に言うと、彼女の親族は少しでも彼女を留めたくて、アブラハムのしもべに、もう少し家に滞在するように言いました。そこで彼女の意見を聞こうと、リベカを呼び、「この人と一緒に行くか」と尋ねると、彼女は「はい、行きます」と答えたのです。ここにも彼女の性格が表れています。どこへ嫁ぐのか、誰と結婚するかも知らずに、彼女ははっきりと、アブラハムのしもべについて行きますと、自分の意見を言える女性でした。リベカは、勇気と決断力のある女性でした。そして、イサクはリベカと出会い、彼女を愛し、彼女と結婚しました。ところが、結婚しても二人には子どもがうまれませんでした。彼女は不妊の女性で、子どもを産むことができませんでした。当時は、一夫多妻ですから、妻が子を産めない場合、ほかにもう一人妻を迎えることが普通でした。しかし、イサクは彼女を愛していたので、別の妻を迎えることなく、彼女のために祈ったとあります。神は彼女を祝福し、彼女は双子を身ごもりました。また、彼女は、神より、兄が弟に仕えるということばをいただいたのです。そして、生まれたのがエサウとヤコブでした。ここまで見ると、イサクとリベカは神に祝福され、幸いな家庭を築いたように見えます。しかし、この二人の家庭にも次第に問題が起こり始めました。
エサウは狩りが好きな野の人となり、ヤコブは天幕で過ごす穏やかな人となりました。父イサクは狩りが巧みなエサウを愛し、自分の後継者と考えていました。しかし、リベカは弟のヤコブを愛し、また、神の言葉を信じて弟のヤコブこそ族長になるべきだと考えていました。ここで、夫婦がそれぞれ自分の好みで、偏って子どもを愛することが、家庭の中で少しづつ問題になってきました。ある時、エサウは狩りでおなかをすかせて帰ってきました。この時、ヤコブは天幕で料理を作っていました。おなかのすいたエサウはヤコブに、その煮物をくれと言いました。ヤコブは兄の弱みに付け込み、長子の権利と交換に食べ物をあげようと言いました。おなかのすいたエサウは簡単に、長子の権利をヤコブにやると約束してその煮物を食べてしまいました。聖書はエサウは長子の権利を軽んじたと記しています。このようにヤコブは兄の弱みに付け込んでも、長子の権利を自分の物にしたかったのです。
また、イサクが年を取り目がかすんでよく見えなくなったころ、イサクはエサウを呼んで、特別な祝福の祈りをするために、獲物をとってくるように命じました。それを聞いたリベカはどうしたでしょうか。彼女はヤコブを呼び、兄に成りすまして父イサクをだまし、兄の祝福を奪い取るように勧めたのです。ヤコブは躊躇しますが、母の言われるとおりに、エサウの着物を着て兄に成りすまし、祝福の祈りを奪い取ってしまいました。後でそれを知った兄エサウは激怒し、父が亡くなった後に、ヤコブを殺してやろうと憎しみを燃やしたのです。また、それを知ったリベカは、ヤコブを助けるために、自分の兄ラバンのもとへ行き身を隠すようにヤコブに命じました。ヤコブは兄の怒りを恐れ、逃げるように家を出て、母の兄ラバンのもとへと向かったのです。その後、二十年たってヤコブは生まれ故郷に戻ってきましたが、その時、母リベカは亡くなっており、二度と会うことができませんでした。
どうして、神に祝福された家庭が崩壊してしまったのでしょうか。原因は、夫婦がそれぞれ自分の好みに従って、自分の子を偏って愛してしまったことにあります。このことは昔の話ではなく、現代の家庭にも起こりえる問題です。長男が優秀で、父親は長男に期待します。すると、母親は次男をかわいそうに思い、次男を愛するようになります。そこで、夫婦で別々に子どもを愛することによって家庭が崩壊してしまいます。逆に弟が優秀な場合、父親は弟に期待し、兄はぐれて家庭が崩壊することもあるでしょう。これは、親子の問題ではなく、夫婦の問題です。夫婦が話し合ってバランスよく育てるなら、そのような問題は起こることはありません。イサクとリベカの場合もそのように思えます。神はエサウとヤコブが生まれる前に、兄が弟に仕えるということばを与えていました。リベカは、このことを夫であるイサクに伝えたのでしょうか。もし、リベカがイサクにこのことを伝えていたとしたら、イサクは神の言葉を無視して、見た目で後継者として兄のエサウを選んだことになります。また、なぜ、リベカは神のことばに信頼しないで、ヤコブに父をだまして兄の祝福を奪うように命じたのでしょうか。ここに彼女の弱さがあります。頭がよくて行動力のある人は、神のことばを待つことができず、自分の知恵、力に頼って、行動を起こしてしまう弱さがあります。彼女はまさに神の時を待つことができず、自分の思いを優先してしまったのです。子どもは神からの授かりものです。自分の夢や思いをこどもに強制するなら、必ず、家庭にひびが入ります。私たちは、こどもを神からの授かりものと信じています。それゆえ、夫婦がともに神に祈り、神にゆだねて、こどもの成長を見守りたいものです。