安息日の主

「安息日の主」ルカの福音書6章1節~11節

イエス・キリストは、30歳で宣教の働きを始められ、33歳で十字架に付けられて殺されました。当時、まだ、イエス様の働きは、ユダヤ教の一宗派と考えられていました。では、いつからキリスト教はユダヤ教から離れ、キリスト教という独立した宗教になったのでしょうか。使徒の働き2章で、弟子たちに聖霊が下り、弟子たちは外に出て行って、人々に、イエス・キリストの復活のメッセージを伝えました。そのメッセージを聞いたユダヤ人たちは、悔い改めて一日で三千人が洗礼を受けました。この出来事が教会の誕生と呼ばれています。しかし、人々は、弟子たちをユダヤ教の一宗派と言う見方から変化したわけではありませんでした。後に、パウロにより異邦人(ユダヤ人以外の民族)に伝道がされるようになり、多くの異邦人がイエス・キリストを救い主と信じ教会が建ち始めました。「アンテオケ教会ではじめて、キリスト者と呼ばれるようになった。」と聖書に記されています。その頃から、教会はユダヤ教から離れ、独自の宗教と見られるようになったのです。

ルカの福音書5章33節「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだ入りしています。」このようなイエス様への質問は、先程のような背景から質問されたものです。その質問に対して、イエス様は、今が弟子たちにとって特別な時期であり、自分が天に召された後には、弟子たちも断食することを証言しました。また、その後で、イエス様は自分たちが彼らが考えているようなユダヤ教の一宗派ではない、新しい教え(宗教)であることも説明しています。36節~39節でイエス様が言われた、「新しい着物」とはキリスト教のことを指し、「古い着物」とはユダヤ教を指したものです。また、次の「新しいぶどう酒」はキリスト教を表し、「古い皮袋」はユダヤ教をあらわしたものです。ここでイエス様は、新しいキリスト教の教えを古いユダヤ教につなげる事は、二つともだめにしてしまうことで、新しい教え「キリスト教」は、キリスト教としてユダヤ教から離れて、新しく発展していかなければならないことを教えられたのです。実は、バプテスマのヨハネの教えは、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるような教えだったのです。なぜなら、彼らの教えは、ユダヤ教の教えに悔い改めのバプテスマ(洗礼)を加えただけの教えだったからです。後に、バプテスマのヨハネの働きはなくなってしまいました。

イエス様は、ユダヤ人の会堂で教え、説教の土台は旧約聖書の教えでした。それゆえ、人々は、イエス様の教えとユダヤ教の教えと区別がつかなかったのです。しかし、次の6章で、議論されている安息日の考え方は、イエス様と律法学者パリサイ人たちとでは大きな違いがありました。

(1)    ルカの福音書6章1節から5節。

弟子たちが安息日にお腹がすき、近くにあった麦畑にはいって穂を摘んで食べ始めました。それを見たパリサイ人たちが弟子たちの行動を非難したのです。ここでパリサイ人たちが非難したのは、「安息日にしてはならないことをした。」という非難です。ですから、安息日以外で、人の畑に入って穂を摘んで食べることは律法で許されていました。しかし、安息日に働いてはいけないというい戒めをおかしていると非難したのです。弟子たちがした行動は、穂を摘んで手でもんで食べたということです。この穂を摘むことが刈り入れの働きとなり、穂を手でもむことを脱穀の働きとみなしたのです。イエス様はそれに対して、旧約聖書の出来事を通して弟子たちの行動を擁護しました。ダビデはイスラエルの王サウロの嫉妬を受けて命を狙われました。それを知ったダビデは何も持たずに自分の家から逃げ出したのです。ダビデはその逃げる途中に祭司の家により、祭司以外食べてはいけない、祭壇に捧げられ聖別されたパンを受け取り、食べて元気になりサウルから逃げました。この出来事を引き合いにだして、サウルに仕えるダビデでさえ、必要があれば戒めを冒して聖別されたパンを食べても赦された。ならば、人の子(神の子)に仕える弟子たちが安息日に、お腹がすき、穂を摘んで食べても罪には当たらないと言われたのです。

(2)ルカの福音書6章6節から11節。

6節7節「別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。」とあります。つまり、安息日に人をいやすことは働いてはならないという戒めを冒すことと理解されていたのです。8節から11節で、彼らの考えを知っていながら、イエス様は、彼を立たせ彼の手をいやされました。律法学者パリサイ人たちにとって安息日は働いてはいけない日ですから、神の戒めを優先し他の日にいやすべきだと考えていたのです。しかし、その病の人のことを考えれば、不自由な生活を何年も耐えてきたのです。また、今日しか、イエス様の所に来れないかも知れません。イエス様は彼のことを思って安息日であっても、彼のなえた手を直されたのです。律法学者パリサイ人たちは、神様の戒めを優先すべきであると考えました。勿論、その考えは間違いではありません。では、この場合、安息日にこの人の手を直すことを神様は咎めるでしょうか。イエス様は神様は赦されると信じて、あえて、安息日に彼の手をいやされたのです。律法主義は例外を認めません。すべてを、律法に照らし合わせて人間が判断します。それゆえ、律法に当てはまらない行為はすべて罪に定めます。そこに、律法が人間の教えとなり、神の戒めから離れてしまう不完全さがあるのです。

元々、安息日の教えは、創世記2章にあります。神様が六日間の創造のわざを終え、七日目に休まれました。神様は何のために七日目を休まれたのでしょうか。それは、「七日目を祝福し聖であるとされたと」あります。神様は人間のために、七日目を祝福し聖であるとされたのです。モーセに与えられた十の戒めには、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし、七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。―あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。-それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」とあります。律法学者たちは「どんな仕事もしてはならない」ということばを取り上げて、安息日にしてはいけない行動を30以上も定めたと言われています。先程の弟子たちの行動がそうです。しかし、神様の定められた安息日は人間を祝福するために、神様が定められた日です。大切なのは、神様が定められた安息日をどう受け取るか、どう生活するかです。ユダヤ教の安息日は金曜日の夕方から始まり、土曜日の日没までと定められています。そのため、土曜日は会堂で礼拝する日となっています。キリスト教は、イエス様が日曜日に復活されたことを記念し、日曜日に教会に集まって礼拝しています。大切なことは、礼拝とは何かということです。ユダヤ教の礼拝も聖書のことばから説教を聞くとが中心だと聞いています。キリスト教も同じです。では、神様のことばを聞くとはどういうことでしょうか。マタイの福音書13章に有名な種蒔きのたとえの話があります。ここで、実を結ぶのは、マタイ13章23節「ところが良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」とあります。「悟る」とは、聞いて理解し行動することだと教わりました。聞くだけではなく、自分の生活に適用して実を結ぶのです。それが神様の祝福です。ユダヤ教もキリスト教も区別はありません。安息日と言う考え方は同じです。ただ、違うのは、私たちがどのような思いで、礼拝に臨んでいるかです。私たちは、天地を創られた方を礼拝しています。また、その神が私たちのために特別な日を備えて下しました。私たちはどのような気持ちで礼拝に臨むべきでしょうか。