人の子イエスと神の子イエス 2020年9月6日 / 久富 牧師 マルコの福音書6章1節~29節 今日はマルコの福音書6章から三つの出来事について学びます。 ・イエスの郷里での働き(1節~6節) イエスは郷里(ナザレ)で伝道の働きをしました。郷里の人々はイエスの話に驚いて言いました。 … 続きを読む →
目には目を歯には歯 2020年9月6日 / 久富 牧師 目には目、歯には歯という言葉を聞いたことがあると思います。実はこの言葉は旧約聖書に登場する言葉です。多くの人々はこの言葉の意味をやられたらやり返しても良いという、神が復讐を許された言葉だと間違って考えている… 続きを読む →
会堂司と長血の女性の信仰 2020年8月30日 / 久富 牧師 マルコの福音書5章21節~43節 今日の聖書個所には二人の人物が登場します。一人は会堂司、もう一人は長血をわずらった女性です。この二人に共通する点は何でしょうか。会堂司は娘が死にかかっておりイエスに助けを求めた。長血をわ… 続きを読む →
「生ける神の御子キリスト」 2019年3月17日 / 小手指教会 スタッフ 「生ける神の御子キリスト」 マタイの福音書16章13節~20節 ピリポ・カイザリヤの地方を歩いている時、イエス様は弟子たちに、人々は「人の子」ご自分のことを何と言っているか尋ねられました。弟子たちは、「バプテスマのヨ… 続きを読む →
「アブラハムの信仰と不信仰の人生」 2019年3月10日 / 小手指教会 スタッフ 「アブラハムの信仰と不信仰の人生」 創世記12章1節~4節 創世記の前半は、神様と人間の約束が中心となり、後半は、神様とアブラハムの家族が中心になります。そして、さらに、出エジプト記に入り、神様とアブラハ… 続きを読む →
会堂管理者と長血の女性 2019年1月13日 / 小手指教会 スタッフ 「会堂管理者と長血の女性」マルコの福音書5章21節~43節 新約聖書を読んでおりますと、イエス様と人々の出会いには二つの形があることに気が付きます。一つは、イエス様自身がその人を訪ねていく場合。もう一つは、人々がイエス様… 続きを読む →
神の恵みとしての試練 2018年9月23日 / 小手指教会 スタッフ 「神の恵みとしての試練」サムエル記第一 24章1節~7節 苦しみにも色々な意味があります。神様から与えられる特別な苦しみを試練と呼びます。ダビデが少年の頃、神様は預言者サムエルを通してダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とさ… 続きを読む →
信仰によるダビデの勝利 2018年9月16日 / 小手指教会 スタッフ 「信仰によるダビデの勝利」サムエル記Ⅰ 17章31節~37節 ダビデとゴリヤテの戦いは聖書の中でも有名なお話です。日曜学校に来る子どもたちにも人気のお話です。しかし、注意して聖書を読まないと、このお話は、ただのダビデの手… 続きを読む →
信仰による義 2018年9月2日 / 小手指教会 スタッフ 「信仰による義」創世記15章1節~6節 「信仰による義」と対極にあるのが「行いによる義」です。律法学者たちにとって、「行いによる義」とは、神様の戒めである律法を守ることでした。ユダヤ人たちは、自分たちの国が滅ぼされたのは… 続きを読む →
母の苦しみと喜び 2018年5月13日 / 小手指教会 スタッフ 「母の苦しみと喜び」Ⅰコリント10章13節 今日は、母の日なので母をテーマに聖書からお話をします。 ルツ記の1章を見ると、「さばきつかさが治めていたころ」とあります。「さばきつかさ」とは「士師」のことで、ルツ記の背景が、… 続きを読む →