説教題:『天に宝を蓄えなさい』

聖書箇所:マタイの福音書6章19−21節

1. 地上の富の限界と執着の虚しさ

トルストイの小説『人にはどれだけの土地が必要か』に登場する農夫パホームは、より多くの土地を求めて奔走した末に命を落としました。彼が得たのは、結局、自分の遺体を埋葬するだけのわずかな土地でした。この物語は、貪欲に財産を求めても命を失えば意味がなく、むしろその執着が人を滅ぼすことを教えています。
現代の資本主義社会に生きる私たちも、土地をお金や所有物に変えて考えれば、パホームの姿が決して他人事ではないことに気づかされます。人は本能的に「もっと多く」と求めがちですが、物質的な所有が真の幸せや心の渇きを満たすわけではありません。

2. イエスの教え:宝のあるところに心がある

マタイの福音書6章19節で、イエス様は「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい」と教えられました。当時の財産であった衣類や穀物、貴金属が「虫に食われ、さび、盗まれる」リスクを抱えていたように、現代の資産もインフレや災害、老朽化といったリスクから逃れることはできません。
しかし、ここでの本質的な問題は、資産を失うリスクそのものではなく、私たちの「心の位置」にあります。イエス様は「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もある(6:21)」と言われました。時間や労力、お金を注いでいる対象に、私たちの心は支配されます。地上の富に執着し続ける限り、人はそれを失う恐怖と戦い、平安を奪われることになります。

3. 天に宝を蓄えるとは何か

天に宝を蓄えるとは、物理的な場所に財産を届けることではありません。聖書によれば、それは「神の御心に従い、隣人に愛の手を差し伸べること」を指します。

小さき者への愛:困っている人々や身近な人々に愛を示すことは、イエス様ご自身に対して行うことと同じであり、その報いは天において約束されています。

まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。(マタイの福音書 25:40)

永遠の資産:地上の富は死と共に手放さなければなりませんが、神様への従順と隣人愛によって捧げられたものは、決して失われない「天の資産」となります。

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。(テモテへの手紙 第一 6:17-19)

4. 結び:心の平安を求めて

私たちの心がどこにあるか、先週一週間の歩みを振り返ってみましょう。もし地上の心配事や所有欲に心が支配されているなら、その向ける先を意識的に変えていく必要があります。
地上の蓄えに神経を尖らせるのではなく、神様に目を向け、周囲の人々のために自分を用い、天に宝を蓄え始めましょう。そこにこそ、失われることのない本当の喜びと、神様が与えてくださる真の平安があるのです。天の御国で主から「よくやった」と受け入れられるような歩みを目指していきましょう。