「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。」
マルコの福音書 2:27
ある目的があって、そのために手段が存在します。しかし、それが逆転してしまうことは多いなと思います。例えば、生きていくために仕事があり貨幣が存在するのに(手段)、仕事とお金のために生きてしまう(目的)というようなことです。ソクラテスが「食べるために生きるな、生きるために食べろ」といったことを述べていた気がしますが、このような誤りを戒めたかったのかもしれませんね。上の御言葉も、ある意味で目的と手段について再確認させる御言葉です。安息日を、「聖書で教えられている生き方全体」に置き換えてみても良いかもしれません。「聖書に記されている守るべき戒め、あるいは『教会生活』のために私があるのではなく、私が神様の御前に健全に生きていくために、守るべき戒めと教会生活がある」のです。形式だけ守り、手段を目的と取り違える信仰生活は本人にとって苦痛です。あなたは何のために生きていますか。
