聖書箇所:マタイの福音書8章14−17節
説教題:『病を負うキリスト』
時代の変化と予測の難しさ
過去を振り返りますと、7年前の令和への改元や、直後に到来したコロナ禍、70年前の戦後復興期(白黒テレビの時代。現代のスマホやSNSとのギャップ)、700年前の鎌倉時代(鶴見川周辺の地理など)からの変化など、時間が経つほど世界は原型を留めないほど変化します。時が隔たるほど未来を見通すことは困難であり、人間にとって700年という年月は、全くの別世界を意味します。
預言の成就と永遠の神
マタイの福音書8章17節は、イザヤ書53章4節の「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った」という預言の成就を宣言しています。イザヤの時代(南ユダ王国)からイエス・キリストの到来までは約700年の隔たりがありました。その間、バビロン捕囚、ペルシア、ギリシャ、ローマの支配と、イスラエルを取り巻く世界や文化は激変しました。しかし、聖書の預言は時代を超えて正確に実現しました。これは、神様が時系列に支配されず「永遠の今」を生きておられる存在であり(第二ペテロ3:8)、その御言葉が真実であることを証明しています。
病と痛みを担う救い主
神様があらかじめ人々に伝えたかった希望とは、軍事的な勝利者ではなく、人々の痛みや病を自ら背負ってくださる救い主の姿でした。イエス様は権力者や富裕層に取り入るのではなく、ガリラヤの貧しい人々や弱者、忌み嫌われていた病者、悪霊につかれた人々のもとへ赴かれました。ペテロの姑の手に触れて熱を下げられたように、イエス様は一人ひとりの苦しみに寄り添い、直接触れてその重荷を負ってくださいました。この地上の癒しの御業は、やがて十字架において人々の罪咎を負い、命を代償として捧げられる救い主の姿をあらかじめ示すものでした。
体験的に知ることへの招き
J・I・パッカーの著作『Knowing God(神を知ること)』で語られているように、バルコニーから道を眺めて解説する知的な知識にとどまるのではなく、実際にその道を歩む旅人のように、神様を体験的・人格的に知ることが求められています。イエス様が700年の時を超えてご自分の病や傷を担い、罪を贖ってくださった「『私の』救い主」であることを、単なる教理としてではなく、個人的な信仰の告白として歩んでいきましょう。
