説教題:『愛する自由』

聖書箇所:マタイの福音書 5章38節〜42節

1. 「目には目を」の真意と現代の私たち

イエス様は当時の「目には目を、歯には歯を」という教えを引用されました。これは本来、復讐を推奨するものではなく、過度な報復を防ぎ、社会秩序を保つための「同害報復の制限」という神の憐れみの規定でした。しかし、当時の人々はこれを「やり返す権利」として利用し、現代の私たちもまた「やられたらやり返す(倍返し)」という心のルールに縛られがちです。しかし、報復の連鎖は心を憎しみで満たし、心身を蝕むだけで、決して真の解決をもたらしません。

2. 「第三の道」:復讐の放棄と尊厳の保持

イエス様は「悪い者に手向かってはいけません」という衝撃的な教えを与えられました。これは悪への屈服ではなく、報復という怒りの連鎖から脱する「第三の応答」への招きです。

* 右の頬を打たれたら左の頬を: 手の甲で打つという最大級の侮辱を受けても、報復の権利を放棄すること。私たちの尊厳は神によって保証されており、他者の評価で貶められることはありません。

* 下着を求める者に上着を: 生存に最低限必要な上着さえ差し出すこと。これは、法的な要求を超えた自発的な愛を優先する姿勢です。

3. 権利の主張と信仰による平安

現代社会は権利意識が強く、私たちは自分の権利を守るために必死になります。しかし、その主張に執着するあまり、心の平安や自由を失っていることはないでしょうか。
出エジプト記22章には、貧しい者の上着(権利)は神が心に留めると記されています。私たちの名誉や必要は、自分の力で「倍返し」して守るものではなく、主が守ってくださるものです。サウルへの復讐を主に委ねたダビデのように、全知全能の主に委ねる時、私たちは自分の権利を握りしめる不自由から解放されます。

4. 結論:愛する自由を選び取る

ローマ兵に無理強いされる「一ミリオン(約1.5km)」の荷物運びに対し、「二ミリオン行きなさい」とイエス様は言われます。理不尽な義務を「侵害」と捉えて内側に閉じこもるのではなく、自発的な「愛の機会」へと変えるのです。
これは信仰者だけが享受できる逆説的な自由です。神様がすべてを知り、守ってくださると信頼するからこそ、私たちは損をすることを恐れず、愛し、与えることができます。
自分の力で自分を守ろうとする生き方から、すべてを主に委ね、愛する自由を生きる歩みへと、主イエス様に倣ってまいりましょう。