2018年11月4日 主日礼拝メッセージ

「十字架のことばは神の力」 ローマ人への手紙8章37~39節 コリント人への手紙第一1章18節 金田洋介牧師

主イエスの十字架は、主なる神様の愛と力が豊かに表されています。主イエスの十字架がもたらした、神の力を知りたいのです。

Ⅰ.何者にも奪われない神の愛の力

パウロは、何者にも奪われない神の愛の力を確信していると断言しています(38~39節)。彼がこれほどの確信に至ったのは、彼自身の体験に基づくものでしょう。私たちも愛なる神の御業を、御力を期待する者とされたいのです。疑わないで、信じ求めようではありませんか。神はご自身の時と方法で、必ず応えてくださることでしょう。その時、あなたに対する神の愛を実感するのです。
その一方でパウロは、神の愛に対する確信を脅かす、様々な困難について触れています(35~36節)。しかし彼は、神の愛の力による圧倒的な勝利を断言します(37節)。たとえ困難が襲ってきても、あなたの神の愛に対する確信は、さらに増し加えられていくのです。

Ⅱ.私たちを罪と恥から解き放つ力

誰でも他人の目や、人前での恥を気にしやすいものですが、こと神様の目に自分がどう見えているかについては無頓着ではないでしょうか。聖書は、人間はみな罪人だと教えています。時に、罪は私たちを後ろめたい思い、惨めな思い、恥ずかしい思いにさせます。ですから、他人にも、神様にも知られたくないという思いが働き、その結果、罪を認めず、言い訳をして一生懸命取り繕うのです。しかし、たとえ人の目をごまかすことはできても、神様の前に罪や恥を隠し通すことはできません。どんなに隠そうとしても、最後には神様の前で厳粛に裁かれることになるのです。そこで神様は、主イエスを十字架につけられました。主イエスは十字架の上で晒し者にされ、辱められました。それは、私たちが罪や恥を隠そうとする縛りから私たちを解き放つためでした。何という恵みでしょうか。主イエスがあなたの罪と恥を負って下さったことを感謝し、神様の御前に誠実に歩みましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、やまてらし、カンガルーポー、オリエンタルユリ、グラジオラス、アルストロメリアです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の酢漬けしょうが風味です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会のひっそりさんシリーズ
駐車場の砂利から一輪のアサガオが…瞬く間にしぼんでしまうアサガオですが、健気に咲いた証をパシャ📷
10月19日撮影
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」マタイによる福音書6章28~30節。