2018年12月9日 主日礼拝メッセージ

「仕えるために来たキリスト」マルコの福音書10章35節~45節 金田ゆり牧師

キリスト降誕の目的は、イエスご自身が直接のお言葉で明らかにされています。 マルコの福音書においては、特に、イエスは「仕える」ために降誕されたというのです。イエスが言われる「仕える」とはいったい何か。真意に迫りたいと思います。

①仕えるリーダー、仕え合う教会

私たちの知る権力者たちは、自己実現と私利私欲の為に権力を用いることがしばしばです。しかしイエスは、上に立ちたいものは「仕える者になりなさい」「皆のしもべになりなさい」(43節~44節)と言われました。しもべとなることこそ、真のリーダーの姿だというのです。これは教会でも言えることです。教会は、誰かが力を握って意のままに動かすところではあってはなりません。互いにしもべとして仕え合う、このイエスのお言葉に従ってこそ、健全な信仰が育まれるのです。

②格差を求める人間の闇

イエスのお言葉の背景は、弟子のヤコブとヨハネが「一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」(37節)と、 イエスに次ぐ地位の確約を求めてきたこと、同じように地位を求める弟子たちが腹を立てていたことにありました。人間は、根本的に格差を求める存在です。差をつけないと自分に価値を見出せないのです。神の御子イエスが、あなたの為に命を捨てられました。これ以上、何の価値をあなたの中に見出したいのですか。あなたは誰とも差をつけなくて良いのです。イエスの愛を知った者は、格差の闇から解放されていることを確認しましょう。

③イエスが言われる「仕える」とは

イエス「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た」。イエスは、私たちの罪の贖いの為に命まで捧げ尽くし、全きしもべとなられました。それは、私たちも真のしもべとなるためです。「仕える」とは、福音の為に仕え、犠牲を払うしもべとなる、ということなのです。私たちの歩み全てが、福音の為に仕えるしもべの歩みとなりますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、ブプレリュームです。

 

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の浅漬け、みかんです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。