2019年6月30日 主日礼拝メッセージ

「キリストが満ちている教会」  エペソ人への手紙1章15~23節  金田洋介牧師

教会は「イエス・キリストが満ちみちておられるところ」です。それはつまり、イエスの御言葉とご生涯が現される教会ということができます。

Ⅰ.祈りに満ちている教会

主イエスは、いつも天の父なる神に祈るべきことを教えられ、イエスご自身もそれを実践されました。イエスは祈らないで、数々の奇跡を行うことはなさいませんでした。常にイエスは天の父なる神様に祈られたのです。ですから、私たちも、教会も、イエスが祈られたように、祈りに満ちたものでありたいのです。

Ⅱ.赦しに満ちている教会

次に、赦しに満ちている教会です。教会でいう赦し、それは罪の赦しです。愛である神は、私たちを罪の滅びから救うために、御子イエスを十字架につけ、裁いて下さいました。その故に私たちの罪は赦されたのです。教会は赦しに満ちている所であり、赦された者たちの集まりということができます。しかし、赦しに満ちているからと言って、安易に罪を許容しているのではありません。人の罪を憂い、自分の事として痛み、祈ることが赦しに満ちている教会の姿なのです。

Ⅲ.イエス・キリストの愛に満ちている教会

最後に、イエス・キリストの愛に満ちた教会です。「神を愛し、あなたの隣り人を愛せよ」と言われたイエスは、その通りの生涯を歩まれました。罪人の友となり、人々の苦しみ、悩み、悲しみを担われたご生涯でした。教会は、このイエスに愛されている者たちが集まるところです。イエスに愛されている者、すなわち、全人類がその対象です。イエス・キリストの愛が満ち、その愛に生かされている全ての人々、私たち一人一人が集まるところ、それが教会なのです。

教会とは、主イエスを神の子、救い主と信じ告白する人々が召し集められてできた共同体のことです。召し集められた私たち一人一人が、祈りに、赦しに、愛に満ち、主イエスの御言葉、ご生涯が現される教会(共同体)でありますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、スターチス、ゆり(ソルボンヌ)、デルフィニュウム、ケイトウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、シチュー オン コーンライスです。コーンは缶詰ではなく、お当番さんが、ちゃんと生のトウモロコシを使ってくださいました。お土産のチョコまんじゅうもありました。