2020年6月28日 主日礼拝メッセージ

「生きておられる神を知る時」第一列王記 17章17~24節  金田洋介牧師

 雨が降らない日が続き、飢饉や干ばつが広がる中、やもめの家の粉と油は今日も無くなりません。生きておられる神の力が働いていたからです。「このまま無事に暮らして行ける」と思っていたであろうやもめに、思わぬ試練が襲い掛かります。

Ⅰ.信じた神を見失いかけるやもめ

ある時やもめの息子が病気にかかり、死んでしまいます。やもめは、「神は恵みの神なのか、それとも、私の咎を容赦なく裁く恐ろしい神なのか」と、信じた神がどういうお方なのか分からなくなってしまいました。なくならない粉と油を見るたび、彼女は神の憐れみと力を実感したに違いありません。しかし、愛する息子が死んでしまった今、神の憐みも力も、彼女にとっては何の意味もないことのように思えてしまったのでしょう。彼女が抱いた心情は、現代を生きる私たちにも起こりうることだと思います。困難や問題の大きさに、あまりの苦しみのゆえに、神を疑い、信仰が揺れ動き、神を見失うそうになることがあると思うのです。

Ⅱ.信じた神を決して見失わないエリヤ

 一方、エリヤも少なからず動揺したと思いますが、彼は神を見失いません。エリヤは神に憐みを乞うことさえできない彼女に代わり、とりなし祈ります。「私の神、主よ」と、彼がこれまでの人生の中で体験した全能の神に信頼し、「死んでしまった子どもを生き返らせて下さい」と諦めずにとりなし祈りました。すると、神はエリヤの祈りを聞かれ、やもめの子どもは生き返ったのです。神を見失いかけていたやもめは、神が生きておられることを明確に知ったのです。

やもめの体験から私たちが学ぶべきこととは、神が生きておられることを体験した者は、いかなる困難に遭おうとも、「私の神、主よ」と神を信じ続ける信仰を持つことができる。そして、神を見失いかけた時、また信仰の危機的状況の時こそ、「生きておられる神を知る」時であり、あなたの信仰が成長する瞬間であるということです。神があなたの信仰がさらなる深みへと導かれますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、菊、オンシジュームです。