「主イエスを信じて仰ぐ~疑う者から信じる者に~」マルコの福音書 9章14~29節 金田洋介牧師
汚れた霊に苦しめられている息子を持つ父親が、イエスに助けを求めてやってきました。ところが、イエスは不在。代わりに弟子たちが対応しますが、悪霊を追い出すことができません。後に戻られたイエスが状況を聞かれると、弟子たちや人々の不信仰を嘆きました。父親は「できるならば、憐れんで下さい」とイエスに願います。イエスは「信じる者には、どんなことでもできる」と父親の薄い信仰を奮い立たせると、汚れた霊に命じて追い出したのでした。この出来事を注意深く見ると、私たちを不信仰に陥らせる要因が見えてきます。
①期待どおりにいかなかった時
父親はイエスの御力に期待してやってきましたが想定外のことが起こります。イエスの不在。無力な弟子たち。全く期待通りにいかない現実。期待が裏切られるごとに、彼の信仰はすり減っていきました。私たちも同じではないでしょうか。
②変わらない現実を思い知った時
ようやくイエスがやって来てくださいましたが、イエスを見た悪霊は、息子の体ごと暴れだします。その光景は、父親にとって変わらぬ現実を突きつけられた瞬間でした。「ああ、何も変わらない」不信仰な思いが心を支配していくのです。
③自分では手に負えない困難に陥った時
父親は「私たちをあわれんでお助けください」と言いました。息子だけでなく、家族の苦悩も伺えます。自分たちの力では全く手に負えず、苦しみだけが増していく。絶望が信仰を、望みを容赦なく奪い取っていくのです。
しかしイエスは、全能の主です。「信じる者には、どんなことでもできる(23節)」とは、イエスを信じる者に対して、イエスは余すところなく力を現わして下さるということです。父親が「信じます。不信仰な私を助けて下さい」と告白すると、イエスは御力を現わし、あっという間に悪霊を追い出して下さいました。
イエスはあなたに言われます。「信じる者には、どんなことでもできる」と!私たちも信じる者に力を現されるイエスを信じ仰いで、祈り求めようではありませんか。共に主イエスの御力を体験させていただきましょう!