2020年9月20日 主日礼拝メッセージ

「主の手の中にある幸い」エレミヤ書18章1~6節 金田洋介牧師

 聖書では神と人との関わりを、「羊飼いと羊」や「ぶどうの木とその枝」などに譬えます。本日の箇所は、神とイスラエルの関係を「陶器師と粘土(器)」にたとえています。神は預言者エレミヤに陶器師の所へ行くように命じられました。

エレミヤは神の言葉に従い、陶器師の下へと行きました。陶器師は手の中にある粘土を思いのままに扱い、器を作り上げました。神は陶器師の手の中にある粘土のように、イスラエルの民を自由に取り扱う権利があるということをエレミヤに示されたのです。この背景には、イスラエルの民の神に対する不信仰と不忠実がありました。創造主である神を畏れず、偶像を礼拝し、勝手気ままに歩んでいたのです。神はそんな民をご自身のお心のままに取り扱い、本当に信じ仕えるべき神に立ち返らせようとご計画されていることを明らかにされたのです。

イスラエルの民と同様、私たちの人生は神の手の中にあります。あなたの全生活、つまり、過去、現在、未来に神が関わられるということ。そして、神の手の中にあるということは、神は私たちの全てをご存じだということです。イスラエルの民は神を侮り、罪の闇へと落ちて行きました。「神は侮られるようなお方ではない」と聖書にあります。神の前に謙り、畏れ敬う信仰を持って生きようではありませんか。また、私たちが信じるべき神の御許に帰り、神と共に生きていく時、作品が年が増すごとに深みを増していくように、私たちの信仰も深まり、人格も整えられて行くのです。

私たちの人生には、思いがけないことが起こります。自分の至らなさに嘆くこともあるでしょう。しかし、神の手の中にある人生だということを覚えたいのです。喜びも悲しみも、信仰が揺さぶられ落ち込んでいる時も.、神はそれらをも私たちの信仰、人格の成熟のための、大切な過程として用いられるのです。そこにこそ、神の手の中にある幸いを思うのです。大切なのは、どんな状況の中でも、全知全能の神の手の中にあることを信頼し続けることです。神はご自身を心から信じ、信頼する者を必ず守って下さいます。もっとこのお方を信頼しようではありませんか。主の手の中にある幸いを実感する瞬間が待っているのですから!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、菊(アナスタシア)、ゆり、オンシジュームです。