「私の目を開いてください」列王記第二 6章8~23節 金田洋介牧師
北イスラエル侵攻計画が、預言者エリシャによって見抜かれていたことを知ったアラムの王は、エリシャの住む町に軍隊を派遣します。夜が明け、アラムの大軍に町が包囲されているのを見たエリシャの召使いは恐れ慄きます。エリシャは彼に「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから(16節)」と言うと、「神よ、彼の目を開いてください」と祈ります。すると、彼の目は開かれ、神の軍勢が山にまで満ちているのを見、恐れから解放されたのです。その後、神の御力によって形勢が逆転します。ところが、エリシャはアラム軍を盛大にもてなし、無傷で自国へと帰らせました。それ以降、アラム軍が侵攻してくることはありませんでした。
①神に敵対する愚かなアラムの王と軍隊
エリシャを敵とすることは、全知全能の神を敵に回すことと同じことでした。ところがアラムの王と軍隊はその事に全く気付いていません。実は私たちも、神に敵対することがあります。「神の御言葉と御心に逆らうことによって」です。神は侮られるような方ではありません(ガラテヤ6:7)。
②神を見失う召使い ~神を見ているようで見ていない私たち~
この世界は目に見える恐れ、神を見させないもので満ち、神に対して疑いを起こす悪しき力が働いています。あなたは神をしっかり捉え、神を信頼しているでしょうか。聖書は、神以外のものに望みを置いてはならないと教えています。全知全能の神が我らの神であることを信じ、信頼しようではありませんか。
③神だけを見ていたエリシャ ~主よ、私の目を開いて下さい~
エリシャは神が共におられることを確信し、信頼していました。だからこそ彼は「助けて」ではなく、「神よ、あなたが確かにおられて、取り囲んでおられることを見させて下さい」と祈ったのです。たとえあなたが問題や悩みに取り囲まれても大丈夫。神は全責任を負って、あなたを最善に導いて下さるお方です。
神を信じ、確信して祈るのです!「神よ!あなたが大いなる御力をもって私の人生を取り囲んでおられることを実生活で見させて下さい!」と。