2020年10月4日 主日礼拝メッセージ

「今一度、安息日について考えよう」マルコの福音書 2章23~28節 金田洋介牧師

 私たちキリスト者にとって、一番身近で大切な日は日曜日(安息日)であると思います。本日の箇所は、安息日を巡ってイエスとパリサイ人とが論争する場面が記されています。ある安息日、イエス一行が麦畑を通っていると、弟子たちは麦を摘み始めました。それは旅人や貧しい人の為に残されていた麦で、摘んで食べてよいと律法で決められていました。ところが、パリサイ人達は彼らの行為が、安息日にしてはいけない「収穫」と「脱穀」の労働に当たると批難しました。イエスはダビデを例に挙げ(1サムエル21:1-6)、弟子たちへの不当な訴えに反論されると、「安息日は人のために設けられたのです(27節)」と律法の本質を突かれました。当たり前に過ごす、日曜日(安息日)を私たちも考えたいのです。

安息日の起源は出エジプト記20章8~11節。「創造のわざを終えられた神様が七日目に休まれ、聖別されたように、安息日を聖別して特別な休息の日としなさい。」と命じました。これは画期的なことでした。安息日は身体のみならず、心と霊との安息のためにあります。「働き方改革」が叫ばれる今の世ですが、何よりも神様が設けられた安息日を聖別し、霊肉の安息を心掛けて過ごしたいのです。

次に、申命記5章12~15節では、安息日は「神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷支配から救って下さったことを覚えるためにあること」を教えています。現代を生きる私達は、安息日が来る度に、御子イエスの十字架の死と復活によって罪と滅びの支配から救われ、永遠の命が与えられたことを覚えて過ごしたいのです。周囲から「どうしてそこまで、日曜日を大切にするのか」と不思議に思われるでしょう。私たちにとって、安息日に献げる礼拝は習慣的なものでも、形式的なものでもありません。神様がイエス・キリストを通して成された大いなる御業を覚え、心からの感謝と、神様の恵みへの応答としてささげているのです。

安息日は、神様の愛と恵みを確認する日でもあるのです。どうか、あなたにとって安息日が他の日とは全く違う、特別な日となりますように。あなたの霊肉の安息、そして、あなたが神様と深く交わり、神様の深い愛に包まれる幸いな、スペシャルな日になりますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユーカリ、ミヤマリンドウ、アルストロメリア、トルコキキョウ、ユリです。