2020年10月11日 主日礼拝メッセージ

「自分の罪深さを悟ったなら…」ルカの福音書7章35~50節 金田洋介牧師

イエスがパリサイ人シモンの家に食事に招かれ、食卓に着かれた時のことです。一人の女性がシモンの家に入って来ました。イエスがシモンの家に招かれたことを聞きつけてやってきたのです。彼女は泣きながらイエスの足元に近づくと、涙でイエスの足を濡らし、髪の毛で拭いました。そして高価な香油を足に塗ると何度も口づけしたのです。この時代では客を招いたなら、客の足を水で洗い、頭に油を塗るということが当然の礼儀でした。ところがシモンは、挨拶どころか、するべき礼儀をことごとく無視した無礼な態度で、イエスに恥をかかせたのです。また、心の中では、イエスに対する非難と、女性の罪に対する裁きの思いで満ちていました。シモンと女性の態度はとても対照的です。

シモンの心を見抜かれたイエスは、あるたとえ話をされました。ある金貸しが一人に500デナリ、一人に50デナリを貸したが、どちらも帳消しにして許してやったというのです。ここでイエスはシモンに尋ねます。「二人の内どちらが、金貸しを余計に愛するか(感謝するか)」と。シモンは、「多くの額を帳消しにされた方です」と答えます。するとイエスは、「シモンが何一つしてくれなかったことを、この女性はすべてしてくれた」と女性を行動を褒めつつ、「この女性が多く赦されたことは、わたしに示した愛でわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と言われました。シモンと女性の行動の差は、罪の自覚の大きさです。自らの罪深さを悟り、心から悔い改めた者は、赦された感謝と喜びを最高の愛と行動で示すのです。私たちもこの女性の信仰に倣う者となりたいのです。

①主の御許に行く。パリサイ人の家に入ることは大変勇気が要りましたが、イエスへの愛を現す為に御許に近付いたのです。私たちにとっては毎週の礼拝を守ることや、祈りや奉仕、献げ物と言えるでしょう。

②惜しみなくささげる。あなたが捧げられる最高の愛を神に捧げましょう。

③感謝し、愛し続ける。どれほど愛しても、イエスの愛と犠牲には到底及びません。しかし、払いきれない罪の負債が贖われ、赦された者として、イエスに心からの愛と感謝を現し続けようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、グロリオーサ、ドラセナ、アルストロメリアです。