「イエスが望んだ者たち」マルコの福音書 3章13~15節 金田洋介牧師
イエスが多くの弟子たちの中から十二人の使徒を選び立てられた場面が描かれています。イエスは夜を徹して祈り、十二人を選ばれた(ルカ)とあります。それほどまでして選んだ使徒ですから、信仰深く、人格も品性も整った、素晴らしい人物像を想像しますが、実際は一癖も二癖もある個性豊かな人達ばかりでした。元取税人マタイ、過激な一派に属していたシモン、気性の激しい性格から雷の子(ボアネルゲ)と呼ばれたヤコブとヨハネ、盗人(預かっていた財布の中身をごまかしていた)イスカリオテのユダと様々です。しかし、彼らこそがイエスが望んだ者たち(口語訳:イエスの御心にかなった者たち)だったのです。イエスがこの十二弟子を選ばれた目的が記されています(v14b-15)。
①自分の側に置くため。
イエスは弟子たちを側に置き、彼らと生活を共にすることで、彼らを教え、訓練し、他の弟子を導くリーダーとして育てようと思われたのです。
②遣わすため。
1)福音を宣べ伝えるために遣わされました。彼らはイエスによってもたらされた神の国の訪れ(神による愛の支配)を宣べ伝える者として用いられました。
2)悪霊を追い出す権威を持って遣わされました。イエスが悪霊を追いだされたように、弟子たちにもその権威をお与えになりました。
弟子たちはイエスと共に行動することで、イエスの愛に触れ、大いなる御業を見、己の愚かさを知り、大きな失敗と挫折を経験しました。しかし彼らは、ペンテコステに聖霊に満たされ、大胆にイエスの十字架と復活を宣べ伝え、他の弟子たちのリーダーとして用いられ、イエスがなされた奇跡をも行いました。彼らは天に召されるまで、主イエスの使徒(遣わされた者)として、走るべき行程を走り抜いたのです。
今日、私たちはイエスの弟子としてこの世に遣わされています。神の愛を知らない人たちに神の愛を表し、聖書の価値観に生きて証し、悪霊の支配からの解放をとりなし祈り、イエスの弟子としての使命を全うしようではありませんか。