2021年1月3日 主日礼拝メッセージ

「わたしの臨在がともに行く」出エジプト記 33章12~17節 金田洋介牧師

本日の33章の前に起こった出来事を確認しましょう。

モーセがシナイ山から戻らないことに不安を覚えた民は、金の子牛をエジプトから救い出した神として崇めるという、愚かな罪を犯してしまいます。神の激しい怒りが下り、大勢の民が打たれます。しかし、モーセの必死にとりなしにより、神は怒りを静められました。そして33章に入っていきます。

神はカナンの地に民を導くようモーセに命じますが、神ご自身は一緒に行かれないと告げます。いとも簡単に神の戒めを破ってしまう民を、ご自身の聖さのゆえに滅ぼしてしまわないようにするためだというのです。そこでモーセは、真実を全うされる神を信じて、誠実な態度と言葉で訴えます。神はモーセにわたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」(14節) と答えます。臨在とは、いつも共にいて下さる神が、私たちに分かるように、交わることができるように、ご自身を表して下さることですが、「臨在」と訳された語は、源語では「顔」を意味します。「わたしの顔がともに行く」と言われたのです。とても不思議に感じますが、「顔」はその人の存在を最もよく表します。ですから、神の存在そのものが一緒に行くということなのです。新しい年、どのような事が起こるか分かりませんが、神ご自身があなたとともに歩んで下さるのです。それも、明確に分かるように。何と幸いなことでしょうか。

さらにモーセはとりなして訴えます。「あなたの臨在が私たちとともにいて下さらないなら、進ませないで下さい」(15~16節)と。モーセは自分の無力さを認め、そして神の民イスラエルは、神の臨在があってこそ神の民であることを訴えます。神はモーセの訴えを聞き入れられ、イスラエルの民と共に進むと約束し、ご自身の言葉を果たされます(申8:4、ヨシュア24:13)。

この神が新しい一年もあなたと共に歩んで下さり、安息を与えて下さいます。そして、あなたの家族と共に歩んで下さるのです。「主よ、この年も私と、私の家族と、とも歩んで下さい。そして安息を下さい」と、心から祈り願って、新しい一年をスタートしようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、松、ユリ、オンシジューム、カーネーション、千両、スイートピー、ミニバラです。