2021年5月16日 召天者記念礼拝メッセージ

「主イエスが与える平安」ヨハネの福音書11章25~26節、14章27節  金田洋介牧師

 

本日は召天者記念礼拝です。先に天に召された兄弟姉妹を偲びつつ、イエスによって与えられた平安に注目しましょう。聖書箇所は十字架前夜のイエスの御言葉です。弟子たちはイエスがいなくなることを恐れ、不安の中にありました。弟子たち同様、不安になりがちな私たち。しかし、イエスは「わたしは平安を残します。与えます。」と言われます。

Ⅰ.イエスが残された平安

イエスは「平安を残す」と言われました。多くの意味があると思いますが、その一つをイエスの御言葉と御言葉を体験したという事実から来る平安と考えたい。弟子たちは、イエスと共に歩んだ日々の中で、イエスの御言葉の力を目の当たりにしてきました。弟子たちが、イエスと共に歩み、聴いたこと、見たこと、体験したことは、紛れもない事実です。また、まだ体験していない約束の御言葉もありました。それら一つ一つの体験が、後に彼らに平安をもたらすことになるのです。御言葉の力は今も生きて現れます。私たちは、イエスの御言葉の力を体験してきました。そしてこれかも体験するでしょう。それらが、私たちに平安をもたらすのです。

Ⅱ.イエスが与える平安

「イエスが与える平安」とは、イエスがご自身の命を犠牲にされたことで与えられた平安です。イエスを信じない世界では、平安を得るために、自分で犠牲を払って、自己責任で平安を得ます。しかし、必ずしもそれらが期待通りの結果をもたらす保証はありません。むしろ不完全で、限定的なものにすぎないのです。しかし、イエスを信じる者に与えられる平安は違います。イエスはご自身の命を犠牲にして、あなたの力ではどうにもできない罪と、死と、永遠の滅びから救い、さらには永遠の命をも与えて下さいました。あなたを救うためにご自身を犠牲にされたイエスだからこそ、あなたに平安で満たすことができるのです。否、イエスだけができるのです。

あなたを不安に追いやるものは何ですか。平安が欲しいと思う時はどんな時ですか。あなたにはイエスによって与えられた平安があります。先に召された兄姉は、この平安を握っておられたのです。死は永遠の別れ、終わりではありません。主と共に再会できるのです。この平安に日々満たされて歩むことが出来ますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ヤマテラシ、カーネーション、トルコキキョウ、リアトリス、アリアムです。