2021年6月20日 主日礼拝メッセージ

「神の契約~ご自身の存在をかけて~」創世記15 章7~18節 金田洋介牧師

満天の星を見せられたアブラムは、神の約束を「信じます(アーメン)」と告白しました。続いて神は、アブラムと一方的に契約を結ばれます。それは彼にとって一番馴染みのある形でした。

神はアブラムに指示された動物を持ってこさせ、それらを半分に裂いて置くように命じました(9~10節)。これは、アブラムのような牧羊者たちの間でなされていた契約の形で、契約者たちが裂かれた動物の間を通ることで成立します。契約違反は裂かれた動物が表すように命を失います。今日の契約とは違う重みがあります。

日が暮れて暗くなってきた頃、「燃えているたいまつ、煙の立つかまど」すなわち、煙と火に象徴される神の臨在が切り裂かれた物の間を通り過ぎます(17節)。つまり神は、「もしわたしが契約を破るようなことがあったならば、この動物のように二つに裂かれてもかまわない」という、神がご自身の存在をかけた契約でした。しかも、神自ら一方的に契約を結ばれたのです。アブラムは驚いたに違いありません。

これまでアブラハムの生涯を語ってきましたが、神はあなたを祝福したいと心から願っておられることをお話ししてきました。けれども、現実は良いと思えることばかりではなく、アブラムのように一向に変わって行かない現実に不安や焦り、不満や疑いに心が一杯になりそうになります。「神様、あなたは真実(アーメン)です」と素直に告白することができる時もあれば、この「アーメン」がどうしても告白できない、という状況に追いやられることがあります。それは、アブラムが眠りの中で襲われた深い暗闇と恐怖(アブラムの子孫を襲うエジプトによる奴隷支配を意味する)のように、私たちの人生も困難や苦難を避けることはできません。しかし、神の祝福の約束はどんなことがあっても揺るぎません。確かに、苦しみの中を通ることがあったとしても、それ以上に、神が私たちを祝福するという強い決意があることを信じたいのです。いや、信じることができるはずです。なぜなら、私たちにはイエスの十字架の死と復活によってもたらされた、大いなる救いと恵みがあるからです。神はイエスの十字架と復活を通して、ご自身の存在をかけて、私たちに対する愛と祝福が確かであることを示して下さったのです。

ご自身の存在をかけて、御子イエスの命をもって結ばれた契約と約束が、あなたと神との間にあることを覚えて、喜びの日も、悲しみの日も、苦しみの日も、試みの日も、神と共に歩んで行こうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゴッホのひまわり、スターチス、ユリ、トルコキキョウです。