2021年6月27日 主日礼拝メッセージ

「あなたを見ておられるお方」創世記16 章1~14節  金田洋介牧師

 

多くの体験を通して神との関係、神に対する信頼も深まり、約束の成就を信じ待ち望んでいたアブラムとサライ。ところが、現実は思うように行きません。そこで、妻のサライはエジプト人の女奴隷ハガルによって子どもを得ようと提案します(2節)。

妻サライ以外の女性によってアブラムが子を得る。彼らが生きていた時代の文化やルールでは常識的な手段でしたが、アダムとエバから始まった結婚と夫婦の在り方を曲げるもので、神の前では罪です。しかし、サライもアブラムも「もう手段を選んでいる場合ではない」という焦りがあったのか、罪を犯してしまいます。結果、関係する全ての人に大きな痛みが襲うことになります。

次にハガルに注目します。おそらく彼女は、アブラムたちが飢饉を逃れ、一時エジプトに滞在した際にアブラム夫妻に仕えるようになったのでしょう(12章)。エジプトから辺鄙なカナンの山地に連れて来られたばかりか、エジプト人が軽蔑する遊牧民の主人に仕え、その上老人アブラムの妻とされます。あまりに自由のないハガルがかわいそうに思います。やがて彼女がアブラムの子を妊娠すると、それまでの思いが爆発したのか、ハガルはサライを見下すようになりました。サライはアブラムに不満をぶつけます。ところが、アブラムは解決しようとせず、サライの自由にさせます。すると彼女はハガルを苦しめ、誰にも守ってもらえないハガルは、耐えきれず逃げ出してしまいます。アブラム夫妻が神の時を待つことができす、人間的な方法を選んだことにより、みなの心も関係も傷付き、痛んでしまいました。

逃げ出したハガルが、行くあてもなく荒野を彷徨っていると、神の遣いが現れ、サライの許に帰りるように命じます(9節)。そしてさらに、アブラムと同じように、ハガルの子孫も祝福するとの約束を与えて下さいました。誰も自分を顧みてくれないと思っていたハガルでしたが、いつも自分を見ているお方がおられたことを知り、慰めと励ましを得、祝福の約束を信じて、サライの許に帰って行きました。

誰の目にも留めてもらえないハガルに寄り添い、祝福の約束をも与えて下さった神の目は、あなたにも向けられています。いつも、どんな時も、神の目が自分に向けられていることを信じ、遣わされている場所に出て行こうではありませんか。そして、仕えるべき人に仕え、委ねられた働きを忠実に行い、全てを見ておられる神の報いと祝福に与り、神の栄光を拝させていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、グラジオラス、カラー、トルコキキョウ、紫陽花です。