「何度も、何度でも~破れを繕う神~」創世記20章1~18節 金田洋介牧師
ゲラルへと移住したアブラハムは、真の神を信じないこの地域の人々を恐れ、妻のサラを自分の妹として紹介します。ゲラルの王アビメレクは、サラがアブラハムの妹だと聞き、彼女を王宮へ召し入れました。ところがその夜、神はアビメレクに「今日、召し入れたサラのゆえに、あなたは死ぬ」と告げます。サラがアブラハムの妻だからです。アビメレクは「サラもアブラハムを兄と言っていた」と、身の潔白を神に訴えます。しかし神は、サラをアブラハムのもとに帰さなければ、王も王の関係者もみな死ぬとうのです。アビメレクがアブラハムに問いただすと、サラは異母兄妹で、完全な嘘ではないと弁解します。騙された上に、とばっちりで自分の命を失うところだったアビメレクでしたが、寛容な態度と行動をアブラハムとサラに現します(14-16節)。そして、アブラハムが王の為に祈ると、アビメレクの妻と女奴隷たちの不妊が癒され、また子どもを産むようになりました(17-18節)。
今回のゲラルでの出来事は、かつてエジプトで起こった出来事とよく似ています(12章)。アブラハムはゲラルでも多くの人を巻き込みます。妻のサラも嫌な思いをしたでしょうし、また、神のご計画を妨げるところでした。信仰的にも人間的にも成長したはずのアブラハムは、ゲラルの地で同じ失敗をしてしまったのでした。常に誠実を尽くして下さった神に対し、愚かな過ちを犯したアブラハム。これでは神との関係も終わってしまったのではないかと思ってしまいます。しかし、憐み深い神はゲラルの王との関係、妻サラとの関係、そして神との関係を繕って下さったのです。
「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」ローマ4章3節
彼の信仰は素晴らしいですが、彼の行動や判断が全て正しかったわけではありません。行いだけを見るならば、とても正しい人とは言えません。神を信頼せず、人を恐れ、神の方法に逆らい、自分勝手な判断と行動で失敗してきました。しかし、そんな彼を神は何度も助け、導いて下さったのです。アブラハムは失敗も多かったですが、それ以上に神の憐れみを信じ、求め続けたのです。彼は行いによって神の前に義と認められたのではなく、神を信じることによって義と認められたのです。失敗の多いアブラハムを何度も、何度でも赦して下さった神、破れを繕って下さった神は、私たちの神です。ひとり子イエスを十字架に死なせてまで愛し、救って下さいました。失敗の多い私たちですが、神の憐みを信じ、イエスの十字架を仰ぎ続けましょう。