2021年10月10日 主日礼拝メッセージ

「神様と共に今日を生きよう」創世記39章5~23節 金田洋介牧師

 

本日はヤコブの息子ヨセフに注目します。ヨセフは12兄弟の11番目の息子ですが、父親のヤコブは彼を他のどの兄弟よりも愛しました。他の兄弟たちと明らかに違うヨセフへの待遇に、兄たちは面白くありません。そこにヨセフが見た二つの夢が決定的となり、兄たちはヨセフの殺害を企てます。幸い、寸前のところで思い止まりましたが、ヨセフは兄たちによってミディアン人の商人に売られ、エジプトのポティファルの奴隷となってしまいます。

命拾いしたとはいえ、奴隷となってしまったヨセフ。ところが彼は落ち込んだり、恨み言を呟いたり、家族の許に帰ろうと飛び出したりしませんでした。彼は酷い目にありながらもそれに縛られず、辛い現実から目を逸らさず、ポティファルの奴隷の一人として、今日という日を生きることを選んだのです。忠実に仕えるヨセフの姿を見た主人は、彼に家と財産の全ての管理を委ねます。これは、ヨセフと共におられた神様の取り計らいであるとともに、神様がヨセフを祝福しておられることをポティファル自身が知ったからでした。このことから、もし私たちが神様と共に今日を生きるなら(いつでもどこでも、神様の御心と御言葉をに生きる)、私たちを通して生きておられる神様が周囲に知られて行きます。たとえ、悩み苦しむことがあっても、共におられる神様を信頼して委ね、自分の置かれた所で役割を責任を果たして行こうとするなら、神様は私たちを守り支え、良きことを行って下さるのです。

ところが、神様と共に毎日を生きてきたヨセフの日常が破壊されてしまう出来事が起こり、状況が一転します。ヨセフはポティファルの妻からの誘惑に悩まされます。しかしヨセフは、それは神様の前に罪を犯すことであり、また主人であり、自分を信頼してくれているポティファルに対する罪であると宣言し、誘惑に負けて罪を犯すことはありませんでした。しかし、ヨセフはポティファルの妻に濡れ衣を着せられ、監獄に投獄されてしまうのです。あまりに理不尽な現実に、彼の心が折れてしまってもおかしくありません。ところがヨセフの生き方は、場所が変わっても、奴隷から囚人にまで貶められても全く変わることはありませんでした。そして、ヨセフと共におられた神様は、監獄の中にあっても彼を祝福し、看守の信頼を得させ、彼を成功させてくださったのです。

元々、ヨセフは性の誘惑だけでなく、権力とお金の誘惑にも晒されていました。彼はポティファルの家と財産の管理も任されていましたから、思うがままに振る舞うこともできたのです。しかしヨセフは「神様の前に、主人の前に罪を犯すことはできない」と誘惑に勝利しました。まさに、イエス様が「神を愛し、隣り人を自分自身のように愛しなさい」と教えられた、このご命令が鍵であることを私たちに示しています。神様と共に今日という日を生きたヨセフは、神と人とを愛し、置かれているとこで使命と責任を忠実に果たしました。私たちも彼に倣い、誘惑の多い世にあっても、神と隣り人を愛する日々を歩んで参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、グロリオーサです。