2021年10月17日 主日礼拝メッセージ

「苦難の中でも絶望しないために」創世記50章15~26節 金田洋介牧師

 

ヨセフは兄たちによって貶められてエジプト人の奴隷となり、さらに濡れ衣を着せられ投獄されてしまいます。ところが、奴隷であっても、囚人とされても彼の生き方は変わりませんでした。共におられる神と、置かれた場所でその日その日を生きたのです。

ヨセフ、囚人から宰相へ

ある日のこと、ヨセフは拘留されていた王の廷臣たちの夢を解き明かしたことをきっかけに(40章)、王の夢を見事に解き明かすします(41章)。そして、将来エジプトを襲う大飢饉を乗り越える方策を提案することによって王の信頼を得、ヨセフはあっという間にエジプトの宰相に上り詰めます。その後ヨセフは結婚し、マナセとエフライムを授かります。これまでの苦労が報われたヨセフでしたが、神様のご計画にはさらに先があったのです。

誰の考えも及ばない、神の壮大な計画

エジプトの宰相になったヨセフの采配により、7年間の大飢饉からエプトを救いますが、大飢饉は地の全面に及び(41:56)、ヨセフの父や兄たちがいるカナンの地にも影響をもたらします。しかし、ヨセフの功績と王の好意により、ヤコブ一族のエジプト移住が許されます(42~45章)。神様はヨセフを通してエジプトや諸国を救い、ヤコブ一族も救われたのです。

50:20 あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。

ヨセフの告白のごとく、神様はヨセフの兄たちの悪の企みを良きことに変え、多くの人々を救って下さったのです。そして、移住時70数名だったヤコブの一族は、400年後の出エジプトの頃には100万人以上に増え、神の栄光を現わす使命を担う神の民として歩むことになります。神には誰の考えも及ばない壮大なご計画と最善のアイデアがあるのです。

神様の憐みを知り、神様の憐みを求める

説教題にもある苦難とは、「身に降りかかる悩み、苦しみ、苦痛」です。ヨセフも兄たちも苦難の中を通りました。ヨセフは人の悪意と罪によって苦しみ、兄たちはヨセフに対して行った悪、つまり、自分たちが犯した悪と罪を悔いて苦しみ、さらに父ヤコブが死に、ヨセフの仕返しを恐れています(50:15)。このように、自分の犯した罪や他者の犯した罪によって苦しみ、絶望に追いやられることがあります。しかし、ヨセフや兄弟たちに、さらには神を信じないエジプトや周辺諸国にも、神の憐みの御手が及び、みな救われました。ここに、私たちが苦難の中でも絶望しないために覚えておくべき秘訣があります。ヨセフの物語を通して全ての人が神の憐みの対象であることを知った今、神の憐みを信じて求めるのです。神は私たち誰もが考えも及ばない壮大な計画を用意し、それを実現できる唯一のお方です。日々このお方の前に遜り、憐みにすがりつつ歩んで行こうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、クジャクヒバ、グラジオラス、ユリ、トルコキキョウ、スターチスです。