「永遠の神の御名」出エジプト記3章13~22節 金田ゆり牧師
イスラエルの出エジプトの為に、神様が自分を召しておられることを理解したモーセでしたが、彼の中にはまだわからないことが多くあり、不安がありました。モーセは、父祖の神を限定する、このお方を現わすお名前は何か、神様のお名前を聞きました(13節)
- 「わたしはある」という者である(14節)
神様は「わたしは、『わたしはある』という者である」とご自身の存在を現わす自己紹介をされました。ここで神様は、過去、現在、未来、すべてを網羅する動詞を使われ、神様の永遠性を現わされました。わたしは永遠の初めから存在し、永遠に至るまで存在する者である、とご自身を自己紹介されました。この御言葉を理解するために、へブル13章8節、黙示録1章8節、ヨハネ8章58節もご覧ください。
- アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主(15~17節)
神様は、ご自身の呼び名を紹介されました。ヘブル語で「ヤハウェ」、日本語では「主」と呼ばれます。アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を決してお忘れにならず、誠実に、真実に、忠実に、行われるお方は、「主」と呼ばれるお方だとモーセに告げられたのです。あなたの人生に、み言葉の約束を行われるお方、その名は「主」。主と言うお名前は、み言葉を忠実に果たされる、真実なお方として紹介されるべきお名前なのです。
- あなたの人生すべてを引き受けてくださる主(18~22節)
神様は、ご自身を「わたしはある」という永遠の存在であること、契約、み言葉を忠実に果たされる「主」という呼び名をモーセに教えられた上で、18節以降の御言葉を語られました。今後、出エジプトに至るまでどのような出来事が展開されるのか、示されました。永遠であるお方は、み言葉を忠実に実行されるお方には、このれから先のことがすべて、見えておられ、ご計画がある。「わたしはある」「主」と言うお名前は、あなたにとって、予測することのできないすべての将来を、神様は引き受けて導かれるというお名前なのです。神様は、モーセに、起こることを何もかも話されたわけではありません。神様は、知る必要のないことは語られないのです。私たちが知る必要のあることは、「わたしはある」というお方、「主」というお方は、私たちの人生すべてを引き受けて導かれるということ。この事実に心を留め、み言葉を握り信頼して歩むことです。この永遠の神様の御名をいよいよ切に呼び続け、どこまでもこのお方だけを見て、信頼して歩めますように。