「愛によって全うする」ガラテヤ人への手紙 5章1~14節 金田ゆり牧師
ガラテヤ人への手紙が書かれた背景には、ユダヤ人信徒と、異邦人信徒との問題がありました。一部の極端なユダヤ主義者は、異邦人が神に受け入れられるためには、律法と伝承に従わなければならないと教えていました。パウロは、ガラテヤ諸教会の信仰を純粋な福音に呼び戻すためにこの手紙を書いたのでした。
①私たちを縛る奴隷のくびき 1~5節
イスラエルは、神の民のしるしとして割礼を受け(男子)、律法を与えられましたが、戒めを守ることはできず、神に逆らいどおしの歴史でした。人は行いによって神の前に義とされないのです。ですから、イエス・キリストは私たちの罪のみがわりに十字架に掛かり復活されました。この十字架と復活を信じる信仰によってのみ、義とされる道を開かれたのです。この話はクリスチャンはわかっています。しかし、世の評価、人の評価、何ができるできないで自分や人を評価し、追い求めて生きるなら、あなたは奴隷のくびきを負わされているのです。行いによって義とされないと知っていながら、実生活にその信仰を適応できていないのです。
②真理に従わせない力 7~13節 イザヤ43:4
ガラテヤ諸教会には、純粋な信仰を邪魔する力が働いていました。私たちも同じです。神のお考えとはかけ離れた、信仰を邪魔する価値観、環境の中にいる私たちは、その影響からなかなか抜け出せません。行いによらず、信仰によって義とされた私たちは、世の価値観に囚われた奴隷のくびきから、ただ神がどう思っておられるかを基準に歩む、自由を得るために召されているのです。神は、あなたに何ができて、何ができなくても、あなたを愛しておられます。
③愛されていること、愛することで人生を全うする 6節、13~14節
マルコ12:31、コロサイ3:23もご覧ください。神に愛されていることを知っている人は、キリストの自由を得た人です。愛されていることを知った人は、隣人を愛し仕える為に生きるのです。隣人を愛するというのは、神を愛することです。隣人に愛を現わし、誠実に仕えることができるかは、結局のところ、神とあなたとのことなのです。すべてのことは、あなたが愛することを学ぶ為に起きていることです。キリストによる自由を得た者として、神を愛する如く隣人を愛する。愛する、この一点において人生を全うすることができますように。