「キリストの思いを抱いて生きる」ピリピ人への2章1~11節 金田洋介牧師
前章の後半から「キリストの福音にふさわしい生活」について語って参りましたが、2章に入ってからもそのテーマは続いています。パウロはピリピの信徒たちに、互いに励まし合い、慰め合い、御霊による交わり(神が中心にいる交わり)によって、思いも、愛も、心も一つとなって歩みなさいと勧めます。そして、心がけておくべてきこととして、「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」と教えています。これも「キリストの福音にふさわしい生活」と言えるでしょう。私たちも教会の兄弟姉妹の関係においてはもちろん、教会から一歩出ると神から遣わされ、置かれている場所(家庭、学校、職場)があります。そこでの関係においても、自分から進んでそのように努めていくということなのです。そして、「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」(5節)とあるように、これらのことは、キリスト・イエスの思いを、わが思いとして持つことによって実現するのです。模範とすべき方はイエス様だとパウロは教えます。イエス・キリストの心構えを自分の心構えとする。自己中心な心と虚栄心を捨てて、他者を顧み、大切にするという、キリストの心構えを抱くようになりなさいということです。6~8節において、イエスこそこれらの思いを常に抱き、体現されたお方であることをパウロは語ります。イエスは神であるのにもかかわらず、常に謙遜で、遜って、仕える姿勢で歩まれ、何よりも父なる神の御心である十字架の死と裁きにまでも従順であられたのです。
私たちは、5節の御言葉にあるように、イエスの思いを自分の思いとして歩んでいくことを目指したいのです。
①信仰の創始者であり完成者であられるイエスから目を離さない
ヘブル12章2節、ヨハネの福音書15章5節
②柔和で遜っておられるイエスから学ぶ
マタイの福音書11章28~29節
③イエスの心と自分の心を重ねる
イエスを常に見上げ、繋がり、イエスの柔和と遜りから学ぶことによって、私たちはこの世界をイエスの心でみることができるように変えられていきます。イエスがどれほど世界中の人々を愛しておられるかということを…。私たちは「キリスト・イエスのうちにある思い」と自分の心が重なったと実感できる瞬間に与れるのです。共にキリスト・イエスの思いを抱いて生きようではありませんか。徹底的にご自身を空しくされ、神の御心に従順に従われたイエスの心を自分の心とし、日々歩んで参りましょう。