2022年3月27日 主日礼拝メッセージ

「主は近いのです」ピリピ人への手紙4章4~7節 金田洋介牧師

Ⅰ.主にあって喜びなさい

パウロはこの手紙を締めくくるにあたって、再度ピリピの信徒たちに喜ぶよう勧めます。私たちはこの手紙を通して、神様が教会や私たちに良い働きを始めて下さり、志を立てさせ、それらを完成して下さるのも神様であることを教えていただきました(1~2章)。また、神様は私たちがこの地上においてどう生きるべきかを、パウロが語る勧めや命令の言葉によって教え、私たちを良い物で満たし、楽しませ、悪いものは何なのか教え、注意と警告を与えて下さるお方であることも教えていただきました。それは、神様の偉大さ、イエス様の素晴らしさを知った私たちが、この主を喜ぶためです。つまり、このお方が私の神であられる。救い主であられることを喜ぶということです。このお方は私たちを救うために、この恵みに与るにふさわしい者とするために、神としての栄光をお捨てになることに一切躊躇されなかった程のお方です。そればかりか、私たちと同じ人間となられ、さらにしもべの姿を取り、十字架の死に至るまで従順でした。それが父なる神様のご計画であり、私たちを心から愛するゆえの行動だったのです。神様はイエス様を見捨て、死なせ、裁いてまで、救う価値のある存在としてあなたを見ておられるということなのです。この事実を知った時、喜ばずにはいられなくなります。この喜びを、日々の生きて行く力、原動力としていくことを神様は願っておられるのです。

Ⅱ.主は近いのです

次にパウロはピリピの信徒たちに、「寛容な心をすべての人に知られるようにしなさい」と命じます。この言葉は、後に続く「主は近いのです」にかかっています。まず、この言葉を二つの意味で考えましょう。一つは『主イエス様のご再臨が近い』ということ、もう一つは『主がいつも共におられる』ということです。イエス様の再臨は、しばしば「主の日」とも言われています。主は近い、主イエス様のご再臨が迫っている。それはすなわち、この世界の終わりの日が迫っているということです。イエス様は「世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と言われました。主の日が今にも、明日にも、迫っていることを覚え、共におられる主と日々歩み、寛容な心を全ての人に知られるよう生きるのです。『寛容』は御霊の実の一つであり、愛の性質の中で最初に挙げられています(Ⅰコリント13章)。寛容こそキリスト者の証だということなのでしょう。神様によってもたらされたこの愛の品性を持って、寛容な心とは無縁の世の中に証しするのです。そして、寛容なお心で私たちを贖い、赦して下さった神様の救いの御業を宣べ伝えるのです。たとえ、多くの思い煩いが私たちを惑わし、証しや伝道を妨げたとしても、避けどころであり、助け主である神様に祈りを通して知っていただきましょう。神様はイエス様に在って人知を超えた平安で私たちを満たして下さいます。この主にあって喜び、寛容な心が全ての人に知られるように歩んで参りましょう。『主は近いのです』から!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、ユリ、スプレー菊、スターチスです。