「主イエスの復活-悲しみが喜びに、絶望が希望に-」マタイの福音書 28章1~15節
イースターおめでとうございます。世界中で祝われるイエスの復活は、私たち一人一人に関わる大切な事実です。
イエスが十字架に死に、墓に葬られてから三日目の朝を迎えました。まだ夜が明けきらない早朝、女弟子たちはイエスの葬りの為に香油を携え、イエスの亡骸が納められた墓へと向かいました。すると、突然地震が起こりました。それは天から降って来た御使いが、イエスの墓を塞いでいた大きな石を動かしたからでした(2節)。恐れおののく彼女たちに、御使いは言いました。『あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。』(5~6節)。さらに御使いは、イエスが復活された事実を他の弟子たちに知らせるよう命じます。彼女たちは大喜びで走って行きました。
女弟子たちが見て確かめた、この空の墓から、私たちの信仰は始まったのです。「イエスは死から復活された!」この事実が私たちの信仰の原点であり、この事実を信じる者がクリスチャンなのです。
彼女たちが弟子たちのもとへと向かう途中、今度はよみがえられたイエスが彼女たちの目の前に現れ、「おはよう」と声を掛けられました(9節)。この挨拶の言葉は、「喜びなさい」という意味を持つ言葉です。彼女たちを覆っていた深い悲しみと絶望の暗闇の夜は明けたのだ!喜びなさい!というメッセージなのです。絶望が希望に、悲しみが喜びに変わったのです。さらにイエスは、ご自分を裏切った弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼んでいます(10節)。なんと憐み深いお方でしょうか。私たちも神様を悲しませることが多い者ですが、イエスの憐みに与ることできます。イエスの十字架は、あなたのどんな罪も、どんな過ちも赦して救うのです。何度でもやり直すことができるのです。
私たちの生きているこの世界も、女弟子たちが経験したような絶望の暗闇が覆っています。疫病に悩まされ、戦地の悲惨な状況に心痛める毎日。未来に希望が持てないと不安に感じる人も多いと思います。しかし、どんなに世の中の状況が悪くなったとしても、イエスの復活がもたらす希望と喜びは決して失われません。たとえ暗闇と絶望が襲ってきたとしても、喜びの朝が、復活がもたらす希望が必ず訪れるのです。死と罪の問題を打ち破り、よみがえられたイエスが、解決出来ない問題は何一つありません。復活の主が、あなたの絶望を希望に、悲しみを喜びに変えて下さるのです!それが、イエスの十字架と復活を信じる者だけが与れる希望です。どうか、決してなくならないこの希望と、喜びを握り続けて行こうではありませんか。