「主が御目を注がれる者」詩篇33篇1~22節 金田洋介牧師
神様への讃美の勧め 1~5節
私たちは正しい者、直ぐな人(1節)には程遠いかもしれませんが、神様の御顔を避けるのではなく、ありのままの姿で神様を賛美し続けたいのです。主イエスが十字架の上で流された血によって、全ての罪から私たちをきよめ、真に正しい者とされたのですから、救われた者、赦された者として神様を讃えましょう。
神様の創造の御業 6~8節
神様は全てを造られた創造主であり、秩序を持って支配しておられるお方です(6節)。聖書は、神様が私たちの考えや力が及ばない世界を治めておられることを教えています。少しもズレもなく、秩序が保たれている自然のサイクルに目を向ける時、神様の偉大さを認めずにはいられません。創造主の前に畏れを持ち、御名を崇めつつ歩みましょう。
神様の統治の御業 9~12節
今、世界とそのリーダーたちの姿、あらゆる形で人々の生活が脅かされている姿を見る時、将来に不安を覚えさせられます。しかし、恐れることはありません。本当にこの世界を治めておられるお方は、創造者であられる神様です。神様の御言葉の力が及ばない領域は、この世界のどこにもありません。神様の力ある御手の中にあることを信じて歩みましょう。
人の心を見通される神様 13~17節
神様は全ての人の心を見通し、私たちの行動の動機さえも見通しておられます(13~15節)。『神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。』(ヘブル4:13)全てを見通することのできる神様の前に、この世のいかなる力も、権力も、無力なのです。人の全てを見通さられる神様を畏れ、神様の御前に遜りつつ歩んで参りましょう。
主(神)が御目を注がれる者 18~21節
主が目を注がれる者(18節)、すなわち神様の大いなる御力と恵みに与ることができる人とは、主を畏れる者であり、神様の恵みを、切に期待して「待ち望む人」のことです。「待ち望む」とは、①将来なされる神様の良きわざを信じて、期待すること。つまり、今日も神様が御手を動かして下さると信じ、期待して静かに待つことです。そのような人は、神様の豊かな恵みと力ある助けに与ることができます。そして、②主と共にいることを待ち望む人。つまり、神様の守りを心から信頼して、神様と共に居続けることを渇望することです。
神様を知った作者は、神様の偉大さを確信し、恵みを祈り求め続けています(22節)。私たちも神様の御力を体験し、豊かな恵みに与り、神を賛美する者とならせていただきましょう。そして、毎日、何度でも何度でも、神様を求め続けるのです。この命ある限り、神様を畏れ、神様を、恵みを、心から待ち望み、期待し続ける者となろうではありませんか。