2022年5月15日 主日礼拝メッセージ

「主よ、とこしえの道に導き給え」詩篇 139 編 1~24節 金田洋介牧師

この詩篇139篇の表題は「ダビデの賛歌」とあります。ダビデの実体験に基づくこの告白を読む時に、父なる神がどのようなお方であるかを私たちに教えてくれます。

まず、神は何でも知っておられるお方です。神は私たちが立つのも座るのも、心に思い計ることもみな知り尽くしておられるというのです(2~4節)。この全知の神の前にごまかしは一切通用しません。ダビデは自分の罪を神の前に隠そうとしたことで苦しみましたが、その罪を悔い改め、赦された喜びを告白しています(詩篇32篇)。全知の神を畏れ、神の御前に誠実に歩む者でありたいですね。神が全てを知っておられるということは、私たちにとって不都合なことではなく、むしろ私たちに平安をもたらすことであることを覚えましょう。

次に、神は全知であると同時に遍在 (どこにでもおられる) の神です。神は私たちの全生活の中におられるのです。あなたはそれを聞いてどう思われるでしょうか。もしかしたら、慰めや平安よりも、気まずい思いや窮屈感を感じるかもしれません。しかし、あなたの人生をより良いものとしたいと願っておられる神を信じ、神と人の前に裏表のない生活を目指してはいかがでしょうか。いつも共におられる神の助けをいただき、聖霊の導きに従い、イエスの十字架による赦しに与りつつ生きて行く時、私たちの歩みは共におられる神の前に、そして生活の場にいる人の前に、裏表のない誠実な歩みとなっていくのです。

次に、神は造り主なるお方です。特に作者は、私たちが神によって創造されたことに注目しています。神によって、私たちの内臓の一つ一つが組み立てられ、母親の胎内にあるときから、神の書物に記録されているというのです(13~16節)。私たちを造られた神は責任をもって私たちの全生涯を持ち運んでくださるお方です。造り主なる神を心から信頼し、全てを委ねようではありませんか。

最後に、作者はこの全知の神、遍在の神、造り主なる神の御前に謙り祈りました。「神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。」(23~24節)と。

神は目に見えないお方ですが、神は御言葉の中にご自身を現わされると聖書は教えています。今、私たちも御言葉を通して神というお方を知りました。ですから、もっと御言葉を通して実際的に、体験的に神を知ることができるように求めていきましょう。そして、ダビデのように「主よ、私を悪の道にではなく、そこにとどまるのではなく、神の道、すなわち永遠の命にいたる義の道へと導いて下さい」との信仰告白へと至らせていただけるよう祈り求めようではありませんか。神は、この祈りが私たちの祈りとなるように、神のひとり子イエスを私たちの罪の身代わりとして十字架上で裁いて下さったのですから!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、デルフィニュウム、ユリ、カスミソウ、ドラセナです。