2022年7月17日 主日礼拝メッセージ

「主の命に従って」民数記 9章15~23節  金田洋介牧師

 

テキストは、幕屋が設営された日の出来事です(出エジプトから1年後)。雲があかしの天幕を覆いました(15節)。この出来事は出エジプト40章にも記されています。そこには、主の栄光が幕屋に満ちたとありますが、それは神様ご自身がそこにおられるということを意味しています。つまりこの雲は、神様の臨在のしるしなのです。そして、この雲はいつもこのような状態にあって夜には火の様に見えたとあります(16節)。イスラエルの民は昼も夜も、この雲を見ることができ、神様がいつも共におられることを確認することができたのです。また、この雲はイスラエルの民を導くものでもありました。あかしの幕屋を覆っている雲が天幕から上ったときが出発の合図です。民は旅立ち、雲がとどまるとき、民はそこに宿営したのです(17節)。このように、イスラエルの民は雲の動きに従って行動したわけですが、それは「【主】の命による」と聖書は記しています。つまり、「神様の臨在のしるし」である雲は、「神様の命令を知るためのしるし」でもあったということです。雲が天幕を離れて上るとすぐに旅立ち、雲がとどまるその場所で宿営する。彼らの旅はその繰り返しでした。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立ったのです。イスラエルの民が、いかに神様の御言葉に従うことを大切にしていたかが分かります。イスラエルの民は、この後も神様に導かれながら進み、留まるという生活を繰り返しますが、それが簡単でないことを思い知ることになります。こんなにはっきりと見える形で神様が共におられることを体験しながら、民は不信仰、不従順に陥ってしまいます。不平や不満を神様に呟くようになってしまうのです。結果的に40年という長い期間を費やすことになります。大切なのは、見えても見えなくても、神様の御言葉(命令)に従順に従い続けることなのです。

今日を生きる私たちは何によって神様の御心を、命令を知ることができるでしょうか。それは、聖書の言葉を通して知ることができます。しかし、聖書を理解することは難しいと思われるかもしれません。前述しましたように、イスラエルの民を導いた雲は、神様の臨在を(神様が共にいることを)表しています。神様ご自身が民に示し、導かれたです。同様に、神様は今日を生きる私たちに、聖霊なる神様を通して導いてくださいます。聖霊様は目で見ることはできませんが、私たちの内に住み、私たちを導いてくださる神様です。私たちは聖霊様によって、御言葉の真理を理解し、聖霊様の助けをいただきなが、神様を中心とした生活を歩むことができます。聖霊様が道しるべとなって、私たちの歩みを導いて下さるのです。大切なのは、神様の御心を知り、神様の御言葉に従うことです。従い続けることです。そして、それは聖霊様の助けによって全うすることができます。共にいて下さる聖霊の導きに従って、昼も夜も、今日も明日も、この一週間も歩んで参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、カーネーション、ユリ、ユキヤナギ、トルコキキョウです。