2022年7月31日 主日礼拝メッセージ

「神の責任」ヨブ記19章1~20節、イザヤ書46章3~4節  金田ゆり牧師

 

どん底のヨブを慰めるために、三人の友人がやってきました。しかし、ヨブと三人の友人は、激しい論戦を繰り広げることになります。ヨブに追い打ちをかけるような苦しみと失望を、この三人は与えてしまうのです。なぜ、このような論戦になってしまったのでしょう。

  • 神と人生とを正しく理解できていない友人たち

この三人の初めの行動は良かったのです(2章11~13節)。しかし、ヨブが自分の生まれた日を呪ったとき、この三人は、ヨブがこのような苦しみに遭ったのは彼の罪のせいだと思い込んだのです。友人の一人目エリファズは、潔白な者にはこのようなことは起きないと主張しました(4章)。二人目ビルダデは、ヨブは神以外のものに依り頼んだのだと決めつけます(8章)。三人目ツォファルは、ヨブは罪を隠しており、さらに重い罰を受けるに値すると断罪しました(11章)。しかし、これらの考えは、今のヨブには全く当てはまらない間違った考えでした。人生には、神様しかわからない、人間にはどうしてもわからないことがあるのです。私たちは、天の会議を知らないからです。しかし、三人の友人は、神とは人生とはこういうものだと、自分達の小さな知識の中でヨブに答えを与えようとしました。傲慢です。ヨブには、彼に寄り添い、主の前に遜って黙し、ただ涙を流してくれる友が必要であったのに。この傲慢で、この三人はヨブを苦しめ失望させてしまったのです(19章1節)。

  • 神を理解できないヨブ 19章6~20節

ヨブもヨブで、神と人生を理解できなくなっていました。神は私を不当に扱っている、私を敵のように見なしておられる、と叫びました。この論戦のせいで、彼がますます混乱したことは間違いありません。ヨブは苦しみのあまり、神が理解できなくなり、神を間違って考えるようになってしまいました。

  • 神が取られる責任 イザヤ書46章3~4節

しかし、この論戦で真の意味で傷つき、痛みを負われたのは神ご自身でした。お心を痛めつつ、この論戦を忍耐をもって聞き届けられたのです。神と人生がわからなくなる私たちに、神はイザヤ書46章のみ言葉を示されています。私たちがどんな試練の渦中にあろうと、神が全責任を負われる、これまでもずっと私たちを背負ってきたのだと。私たちがどんな文句を言おうと、神はひたすら忍耐し、静かに私たちを背負い続けられます。私たちは神のすべてを理解できませんが、これだけは知っていてほしいという、愛に満ちた神の主張なのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オンシジューム、パンパスグラス、ユリ、トルコキキョウです。