「まことの礼拝者」ヨハネの福音書 4章1~24節 金田ゆり牧師
イエスは、ガリラヤまで行く途中、ユダヤ人は普通なら通らないサマリヤを通られました。しかも、暑い昼間に水を汲みに来たサマリヤの女性に、飲み水を求められたのです。ユダヤ人男性がサマリヤ人女性に水を求めるとは。「どうして?」と女性はイエスに応答したことで、この女性の人生が変わる物語が始まります。そして、イエスと女性とのやり取り全体に、礼拝の本質が、在り方が現れているのです。
1.生ける水、み言葉への渇き
仲の悪いユダヤ人であるイエスに声を掛けられ、女性は大変驚きます。しかも、イエスは「生ける水」を与えて下さると言います。イエスが与えて下さる水、神の賜物は、永遠の命なのだとイエスは言われました。イエスの言葉全てを理解したわけではありませんでしたが、身も心も渇いている自分に気づいた女性は「その水を私に下さい」と切望しました。この姿こそ、まことの礼拝者の姿です。私たちは渇いて礼拝に来ているでしょうか。イエスが与えて下さる生ける水、み言葉をへの渇きがある人は幸いです。イエスが与えようとしているみ言葉、祝福の全てを受けることができるからです。
2.イエスの取り扱い
「その水を私にください」と言った女性に対して、イエスは、彼女の抱える問題の核心を突かれました。「あなたの夫をここに呼んで来なさい」。女性が絞り出した言葉は「私には夫がいません」。彼女の悲しい人生を集約した告白でした。イエスは、女性には5人の夫があったが今いるのは夫ではない、と言い当てられました。そのうえで、「あなたは本当のことを言いました」と女性の告白を良しとされ、彼女の悲しい人生を受け止めてくださいました。まことの礼拝とは、このようにイエスに取り扱われるところです。イエスはみ言葉を与えると同時に、私たちの抱える問題の核心を取り扱われます。これがまことの礼拝です。イエスはあなたを取り扱い、尽きない喜びであなたを満たしたいと願っておられます。
3.父が求めておられる、まことの礼拝者たち
心の内を取り扱われた女性の心は、神を礼拝すべき場所に向けられていきました。サマリヤ人の礼拝所を、ユダヤ人は否定していました。しかし、イエスは礼拝する場所ではなく、どのように礼拝すべきかを教えられます。「御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます」。聖霊の導きと、真理であるイエスの言葉によって、父なる神様は礼拝されなければならないのです。三位一体の神の、圧倒的臨在の中で私たちは礼拝をささげます。これがまことの礼拝です。ZoomやCDでの礼拝であろうとも、主日を特別な日として、礼拝を特別な時間とすることができますように。主の臨在を畏れ、父の求めておられるまことの礼拝をささげることができますように。