2023年1月8日 主日礼拝メッセージ

「主を喜ぶことは力」ネヘミヤ記 8章1~12節  金田洋介牧師 

 

先週に続いてネヘミヤ記からのメッセージです。イスラエルの民はバビロンから帰還こそしましたが、解決しなければならない問題、課題が山積していました。そのような中で、神殿や城壁が再建されたのは神様の偉大な力以外の何ものでもありませんでした。神様の御力を体験した民の信仰の目は、次第に開かれ始めます。

神の御言葉を聴くイスラエルの民

神様の言葉に飢え渇いていたイスラエルの民は、モーセの律法に一生懸命耳を傾けました(3節)。御言葉を聞き理解した民は、神様の祝福を失った原因が神様の言葉を軽んじ、神様に逆らい続け、罪を犯し続けたことにあったこと、そして、国の滅亡もバビロン捕囚も、全て神様が警告していた通りになったことを知り、嘆き悲しみました(9節)。すると、総督のネヘミヤ、祭司であり学者であるエズラとレビ人たちは、嘆き悲しむ民に向かって「悲しんではならない。泣いてはならない。…【主】を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」(9~10節)と言いました。

「主を喜ぶことは力」とは

確かにイスラエルの民は神様に背いて罪を犯し、神様の言葉の通りに民は裁かれました。しかし、滅亡から70年後、神様は約束通りに民を捕囚から帰還させ、やがて破壊された神殿と城壁が再建されたのです。民は神様の言葉が真実であり、また、神様は愛と憐みに満ちておられるお方であることを捕囚(失敗、痛み)と捕囚からの帰還(回復と再建)から学びました。ですから、ネヘミヤやエズラたちが語った主を喜ぶとは、「この愛と憐れみに満ちた神がイスラエルの神であること、このお方があなたがたの力(避け所、守る力)となって下さることを喜びなさい」と教えたのです。イスラエルの神様は私たちの神様です。この素晴らしい神様が私たちたちの神様であられ、私たちの力となって下さるとは何と幸いなことでしょうか。

この後、民は神様の御言葉に従い、ヌンの子ヨシュアの時代からなされていなかった仮庵を作り、共に祝いました(17節)。すると、御言葉を実行したことによる大きな喜びが民の中に起こったのです。神様の御言葉に聴き従い、御言葉を実践することは、今日の私たちにも求められている応答です。この時のイスラエルの民のように、飢え渇くように御言葉を求める者、御言葉を行うことによってもたらされる大きな喜びに与る2023年となりますよう、神様に祈り求めましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アレカヤシ、トルコキキョウ、ガーベラ、バラ、葉牡丹です。