神がお求めになるのは、有能な人物ではありません。賜物にあふれ、信仰が強く、性格も円満な人物を神はお求めになっておられるのではありません。欠点だらけでも、弱さを抱えていても構いません。ただ罪の赦しの恵みを賜った故に神に応えていきたい…と願う人物を神は求めておられるのです。
預言者イザヤの時もそうでした。彼は「ここに、私がおります」と口にしました。この言葉は誤解されがちですが、この言葉を口にしたのは彼に自信があったからではありません。自分の信仰や賜物に可能性を見出していたから、神に応えていこうと思ったのでもありません。神の招きの声を聞く直前、彼は自らの汚れを悟り、自分は神の御前では死ななければならない存在であることを知らされました。けれども、そんな自分が赦されることを神ご自身により教えられたのです。神の憐れみと赦しの大きさを知るが故に、彼は神に応えざるを得なかったのです。自分が相応しいからではありません。神の招きの声を聞いて背中を押しだされたのが預言者イザヤでした。
主イエス・キリストの弟子たちもそうでした。彼らの誰一人として、主に相応しい人物がいるでしょうか。信仰的にも、人物的にも、能力的にも、彼らは決して相応しいとは言えません。ペテロやヤコブやヨハネたちは、全員、主イエスを見捨てて、裏切っているのです。しかし、それでも主イエスは彼らを選び、ご自身の弟子として招かれました。弟子たちにも自分たちが主イエスに相応しくないという自覚がありました。その自覚を持ちつつも、彼らは主の憐れみと赦しの故に応えていこうと思ったのです。
大阪聖書学院では、欠点だらけでも、弱さを抱えていても、主なる神に応えようとする人物を求めております。牧師・伝道者になろうと志している方はもちろんのこと、信徒の立場でも主に応えたいと願っておられる方に、大阪聖書学院はその門戸を開いております。
このHPをご覧になられているあなたは、いかがでしょうか。あなた自身への主の招きの声は何なのか、聞いてみてください。
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学院長経歴
茨城キリスト教大学、大阪聖書学院、東京神学大学大学院に学ぶ。
旭基督教会牧師。日本福音主義神学会西部部会理事。説教塾においても研鑽中。
キリスト者学生会関西地区非常勤主事として学生伝道にも携わっていた。