沿革

マデン宣教師夫妻

マデン宣教師夫妻

大阪聖書学院は、ミルトン・B・マデン夫妻の構想と ハロルド・コール夫妻の教師就任によって、1937年 4月21日に創立された。

1869年生まれのミルトンB.マデンは、1895 年、ベサニ-大学を卒業後、マウド・フィットモアーと 結婚し、その年の9月にディサイプルズ派(基督教会) の外国クリスチャン宣教師協会派遣の宣教師として来日 した。2年間、東京で日本語を学んだ後、主に東北地方 で働き、1911年、来阪した(当時、マデン夫妻が大 阪で働いたのは、現在の日本基督教団玉出教会)。

 

晩年の菅野氏

晩年の菅野氏

大阪でマデン氏は退役軍人の菅野宏氏と出会う。菅野氏は、1912年3月、マデン氏からバプテスマを受けるが、後にマデン夫妻だけでなく、コール夫妻、戦後来日することになる宣教師たちを助け、大阪聖書学院設立のために尽力するこ とになる。

 

 

 

1915年、マデン夫妻は、教会やキリスト者個人から直接的な支援を受けて働く道(ダイレクト・サポート・ミッション)を選んで宣教師協会から脱退する。米国からの直接支援を得て、大阪商科大学(現在の大阪市立大学)の英語教師として働きつつ、宣教活動に従事した。
1928年、大阪クリスチャン・ミッション(OCM)を設立、天満橋に建物を借りて教会活動を始め、幼稚園や英語学校を運営する。しかし、1934年の室戸台風のため、借用していた建物が破損したため、1936年、大阪市旭区に土地を得て、教会堂、幼稚園舎、および宣教師館を建て、旭基督教会の活動を始めた。

戦前のコール宣教師夫妻

戦前のコール宣教師夫妻

 

この年に結婚したコール夫妻は、翌1937年4月12日に来日した。その9日後、旭基督教会の会堂において、コール氏による大阪聖書学院として最初の授業が行われた。学生は馬橋基督教会から送られてきた2名であった。

 

クラーク宣教師夫妻

クラーク宣教師夫妻

 

1947年、コール氏が再来日した。その翌年、戦前に所有していた土地の北側に旭基督教会の会堂を建設し、この会堂を使用して大阪聖書学院の活動は再開された。1950年月9月には米軍兵舎の払い下げをうけ、戦前の教会堂跡地にOBSの校舎・寮を建築した。 この頃までにポール・ニールセン夫妻(1948年)、ジョージ・ベックマン夫妻(1948年)、マーティン・クラーク夫妻(1950年)が相次いで来日した。そして、クラーク氏が学院長に就任したことで、大阪聖書学院の体制が整った。

1950年代

1950年代のOBS授業風景

1951年、大阪聖書学院は大阪府認可の各種学校となり、翌1952年3月に、最初の卒業生を送り出す(今井和登、織田 昭、佐藤文男等、4名)。
1961年3月、鉄筋コンクリート造2階建ての学院本館(マデン館)が竣工する。
1964年11月、教師の一人、織田 昭による『新約聖書ギリシア語小辞典』の初版が大阪聖書学院から出版された。
これは戦後初の希日辞典である。この辞典は、現在、改めて教文館から出版されている。
1968年にスガノ・ホールが完成し、1984年には新しい学生寮(コール学生寮)が建設された。
1980年代後半から、戦後間もない頃から大阪聖書学院を導いてきた宣教師たちが隠退して米国へ帰国したり、天に召されたりするようになる。そして、教師陣の半数以上を日本人が占めるようになった。
1989年6月、学院長であったマーティン・クラーク氏が帰天した。翌年3月、その子息であるポール・クラーク氏が学院長に就任する。
2001年4月、中野卿代氏が日本人として初めて学院長に就任する。

大阪聖書学院の設立に携わった米国からの宣教師たちは、聖書だけに帰ろうという「復帰運動(Restoration Movement)」の流れを汲み、『キリストの教会』という群れに属している。
しかし、彼らは復帰運動の精神を尊びつつも、自らの群れを絶対視することはなかった。
学院長を務めたマーティン・クラーク氏について織田昭氏は次のように言っている。
「(クラーク氏は)人を決まった枠や教派的類型にはめることを極端に嫌っておられた…。 『これを守っている限り、正統派のキリストの教会として、先輩方からも宣教師からも非難される心配はない』という安全なパターンを絶対教えなかったのです。」
大阪聖書学院を支えているのは、『キリストの教会』の諸教会である。卒業生の大半も『キリストの教会』に連なっている。しかし、大阪聖書学院は自らの群れを独善的に考えることなく、このクラーク氏の思いを受け継いでいる。
かつてマデン氏は教団組織の下で働くことを潔しとせず、この群れ本来の精神である「己自身の目で聖書を読み、聖書のメッセージを聞き取る」ことを大切にしたが、同時に、同じ精神を持つ日本人伝道者を求めていた。それが大阪聖書学院設立の目的である。この設立目的は21世紀を迎えても変わることがない。

 

  • 独特のバックボーンが自由闊達な校風と多彩な進路を生む

大阪聖書学院は、超教派で様々な教派・教団によって運営 されている神学校ではなく、教団組織を持たない「キリスト の教会」(Christian Churches and Churches of Christ)の諸教 会に支えられている小さな神学校である。卒業生の大半は「キ リストの教会」に連なる牧師、伝道師、牧師夫人として活躍 している。
しかし、これまでに日本バプテスト教会連合や日本福音伝 道教団等からの入学があった。卒業後もこれらの群れだけで なく、日本基督教団でも伝道や牧会に励んでいる。卒業生の 中には、いのちのことば社やキリスト者学生会等の超教派団 体のスタッフになる者や、更なる学びを深めてキリスト教学 校のチャプレンになった者もいる。