初めに、神は天地を創造された。(創世記1:1)
聖書の最初の一文がこれです。同志社大学の創立者である新島襄は、この一文に感嘆して信仰に導かれました。英語の聖書(NIV)を読むと「the heavens and the earth」となっています。また、ニカイア・コンスタンティノポリス信条では「我は信ず、唯一の神。我は信ず、全能の父、天地とすべて見えるものと見えざるものの創り主を」とあります。つまり「唯一の神が、この世の全てを作られた」という事です。
日本では、とかく何でもかんでも「神様」になってしまいます。お稲荷さん(狐)、金比羅さん(ワニ)を崇めたり、山やら岩やら太陽やらを神にしてみたりします。初日の出を拝むのは日本らしい習慣ですし、由緒正しい古木を神格化してみたり、また、お守り、石の地蔵に手を合わせる人もいるでしょう。
しかし、それらの物は決して我々を救う事はできません。狐やワニは言うまでもありませんし、山や木や太陽だって単なる被造物に過ぎません。お守りだって、中に入っているのはただの紙です(神ではなく(笑))。マッチ1本で灰になるようなものを頼みにするとは、何と空しい事でしょうか。
また、山や木や太陽には確かにある種の自然の神秘を感じますが、それは山や木や太陽が凄いのではなく、創り主が凄いのです。ベートーヴェンの音楽が感動的なのは、音符に不思議な力があるからではなく、ベートーヴェンが意思をもってペンを走らせたからであるのは言うまでもありません。自然の神秘を思う時、我々は自然を神にするのではなく、自然を作った神を誉め讃えるべきです。
ですから聖書は、最初の一行で高らかに宣言しているのです。「山や岩や太陽が神なのではない。八百万の神もない。私が天地の全てを創造した唯一の神である」と。
そして、聖書を読み進めると明らかになる事ですが、その唯一の神は「私があなたと共にいる。私があなたを助ける。私があなたを愛している神である」と断言しているのです。世にこれほど力強い励ましの言葉が、他にあるでしょうか。
キリスト教の根本、聖書全体を貫く中心主題とも言える点を、まず一番最初に宣言しているのが、この御言葉であると思います。そして、この一点を受け入れる事からキリスト教の信仰が始まり、本物の救いに出会う事ができるのです。