「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。(コリントの信徒への手紙一6:12)
最近は、テレビでも新聞でも、心が暗くなるような事件ばかりです。誰でも良かったから人を殺したかったとか、金が欲しかったから殺したとか、聞いているだけで悲しくなります。物は豊かになったのに、起こる事件はどんどん陰湿になっています。
原因の1つには、その場が楽しければそれでいい、というような生活がよしとされる風潮がある事は、間違いないでしょう。毎日甘いものばかり食べていたり、毎日タバコを何十本も吸っていたりすれば、病気になるのは当然です。心も同じです。自分にとって楽しい事だけをして毎日を送るうち、心が病気になって、他人の事を考えられなくなってしまっているのです。
では今日の聖句を見てください。「すべての事が許されている」、つまり「何をしても良い」のです。しかしこう続いています。「しかし、すべてのことが益となるわけではない」。何をしてもいいが、何をしてもプラスになるわけではないという事です。好き勝手やってると、そのうち病気になりますよ、と言っています。
神様は、私たちを規則やおきてで縛るような方ではありません。神様は私たちに自由を与えてくださいました。しかし、食べ過ぎたり体に良くない物を取りすぎたりすると病気になるというのも、これも神様が決められた事です。ですから、「何をしてもいいが、自分の意思で悪いものからは遠ざかりなさい」と言っているのです。私たちには自由が与えられていますが、同時に、悪いものから遠ざかる責任も与えられているのです。
と言って神様は私たちに「楽しい事をするな」などとはおっしゃいません。お笑い番組を見ても、カラオケに行っても、テレビゲームをしてもいいのです。しかし、私たちが毎日の生活事に、自分の楽しみとか生き甲斐だけを求めてしまうと、私たちの心は間違いなく病気にかかり、他人の心が分からなくなります。私たちは、日々の出来事が「これは自分にとって楽しいことか」は分かっても、「これは自分の心にとって栄養があることか」は分からないのです。
では、どうやってそれを見分けるのか。そのために聖書があるのです。聖書こそは、神様が人間の心の栄養のために用意してくださった処方箋です。どうしたら私たちが、体だけでなく心に栄養豊かな生き方ができるかが書かれた本なのです。
私たちは聖書という心の処方箋に従い、良い事も良くない事も、神様からの心の栄養だと思って、常に感謝を忘れないように生きていきたいものです。そうすれば、私たちの心は、食べ過ぎの生活習慣病にも、食べなさすぎの栄養失調にもなる事はないでしょう。