日本基督教団小月教会

神に栄光を帰さなかったからである。

定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。(使徒言行録12:21-23)

あるところに、貧しい家庭がありました。貧しいながらも、その家の子供は大変頭が良かったので、お母さんは一生懸命働いて、子供を大学にまでやりました。子供は何も考えずに「将来は大学に行きたい」と言ったりしますが、お母さんが一人で働いて大学へ行く資金を作るのは、並大抵の事ではありません。食費を削り、着るものは古着ばかり、朝も夜も働いて、お母さんは必死の思いで何とか子供を大学卒業まで育てあげました。

大学の卒業式、お母さんはみすぼらしい着物を着て、会場まで足を運びました。卒業式の会場で、お母さんは息子の姿を見つけたので、思わず駆け寄りました。すると、息子の友人が「おい、あの薄汚いおばさんは誰だ?」と息子にきいてきましたので、息子はこう答えました。「ああ、うちで雇ってるお手伝いのおばさんだよ」。

こんな話をきけば、誰でも「何と言う親不孝な」と怒りだすに違いありません。しかし、自分が良い結果を得た時、神様の恵みに感謝するよりも、自分の努力を誇ろうとする時、それはこの親不孝な息子、あるいは、自分の地位を誇って神に栄光を帰さず、天使に撃ち殺されたヘロデと同じであるのです。

では、たとえ話をもう一つ。同じように、大変貧しい家庭がありました。やはり同じように、その家の子供は大変頭が良く、お母さんは苦労して子供を大学にやりました。息子は勉強に励み、大学を首席で卒業しました。お母さんは、「自分は着るものも粗末で、人前にとても出られないから」と、卒業式の出席を断りましたが、息子が是非にというので、卒業式に出て来ました。

お母さんは隅っこの方で小さくなって見ていました。そして、卒業生1人1人に卒業証書が手渡された後、卒業生の中で最も成績優秀なものとして、自分の息子の名前が呼ばれました。息子が壇上に上がると、学長は息子の努力を褒めたたえ、賞状と記念のトロフィーを手渡しました。すると、彼は会場へのお礼もそこそこに、つかつかと壇を降りると、一目散に母親の元へやって来ました。そして、受け取ったばかりの賞状とトロフィーを差し出しながら、こう言いました。

「お母さん、私が大学を卒業でき、このような成績を収める事ができたのは、全てお母さんのお力です。ですから、この賞状とトロフィーは、私ではなく、お母さんこそ受け取るべきです」

最初の親不孝な息子と、後の親孝行な息子と、どちらが人間としてあるべき姿だと思われますか。もちろん、誰もが後の方だと言われるでしょう。人間の親に対してですらそうすべきであるなら、なぜ私たちは、自分の功績は脇へ捨てて、天の父なる神様にすべての栄光をお返しする事ができないでしょうか。



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