■マルティン・ルター著/石原謙訳
■岩波文庫
■A6版・123ページ
カルヴァンが登場したら、この人も出さないとお叱りを受けるでしょう。マルティン・ルターです。言っておきますが、マルティン・ルターというのは小月教会の牧師ではありません(当たり前だ!(笑))。言うまでもなく、腐敗したローマカトリックに対し、「95か条の意見書」を提示し、宗教改革を断行した人物です。
この書は冒頭で、「キリスト者は、全てのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」「キリスト者は、全てのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」という、一見矛盾した2つの命題を提示し、そこからルターの論旨がスタートします。
そして、冗談や誇張ではなく、この小さな本の中には福音主義、信仰義認の全てがあると言っても過言ではありません(ま、信仰義認をとなえたのが、他ならぬルターですから)。原著はわずか20ページだったそうですが、整然と福音主義の真髄を説くルターの文章力を見ると、なるほど宗教改革を成し遂げた大人物の筆はかくあるのかと、驚かされます。
これは、異端がよく主張する事ですが「信仰だけで救われるなら、行いは必要はないのか」と。が、ルターは「信仰さえあれば行いは必要ない」などとは言っていないのです。この本を読めば、異端の聖書理解がいかに薄っぺらいものかを、そしてルターの簡潔にして的を射た解説の素晴らしさを、思い知る事ができましょう。
後半は、ルターが生涯をかけてなしとげたドイツ語訳聖書の序文3篇が収められています。新約聖書全体の序言と、ローマの信徒への手紙、詩編の序言。こちらも一読の価値があります。ローマの信徒への手紙については、序言だけでなくルター自らによる略解が読めるというありがたさです。
が、これは私だけの印象かも知れませんが、特に「新約聖書への序言」におけるルターの論旨は、あまりに「信仰義認」に傾きすぎている気がしなくもありません。それこそ、「聖書の主題は、つまり信仰義認である」とすら読めてしまうのです。そうでなければ、ヤコブの手紙に対して「まったく藁の書である」なんて言葉は吐けないでしょう(笑)。
もっとも、ヤコブの手紙に関しては教団出版局の「新共同訳聖書事典」においても、「本書のような優れた書簡が、主の兄弟ヤコブに書けたはずがない」と、あんまりな言い方ではありますが(もうちょっと他に言いようはなかったのか、と(笑))。
それはともかく、ルターがこれを書いた頃というのは、ローマカトリックがまさに腐敗の極みにあった頃で、そのローマカトリックに対しての提言であった事を考えれば、過剰なほどに信仰義認を強調するルターの立場も、また納得できるものと言わねばならないかも知れません。
わずか数百円で買える小さな本ですが、この本から得られるものを考えれば、その価値は何倍、何十倍にも値すると思います。この本も、全プロテスタント必携の書と言えましょう。