■ジャン・カルヴァン著/有馬七郎訳
■三省堂書店
■B6版・158ページ
ジャン・カルヴァンと言えば、世界史の教科書にも名前が載っているほどの、キリスト教界の超大物であり、マルティン・ルター、フルドリッヒ・ツヴィングリと並んで宗教改革を成し遂げた人物。改革派教会の祖とも言える存在です。
そしてカルヴァンと言えば大著「キリスト教綱要」ですが、さすがに一信徒がいきなり読むのはちょっと無理があります。何たって巨大すぎます(カール・バルトの「教会教義学」に比べればまだ短い方という話も)。いつかは是非読んでみたいですが。
この本は、その「キリスト教綱要」の一部を分かりやすく再編成したもの。第一印象は、意外なほど平易で分かりやすい本です。バルトの著作などは、読んでいて混乱に陥る事が良くあるんですが(私に読解力がないだけか?)、この本はあまり大きくもないので、すんなりと最後まで読めました。
副題が「真のキリスト教的生活」とありますが、冒頭はトマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」と同じく、「キリストに倣う者となりなさい」という論調で始まります。
が、あちらはどうにも「絵に書いた餅」的印象がぬぐえないのですが(いいのか歴史的名著にそんな事言って(笑))、カルヴァンの論旨は随分印象が違います。
カルヴァンは「キリストに倣う者となれ」と言いつつ、「が、弱い存在である人間は、地に這いつくばり、ほんの僅かしか進む事ができない。それでも皆与えられた能力に応じて歩み続けなさい」と言い、トマス・ア・ケンピスの「被造物とは一切関わるな」という主張に対し、「被造物も神の作品、神の賜物なので、それを大いに楽しんで良い。ただし被造物に貪欲にならず、節度を持って生きよ」と説きます。
私には、このカルヴァンの主張こそが、聖書にのっとったもの、これこそが文字通り「キリスト教的生活」のように思えるのです。カルヴァンのこの主張はすなわち、「この世は旅路に過ぎない。しかしその旅路は神の御許へ行くための旅路である。そのために自分を整え、来たる日に備えよ。そして神がお造りになったこの世を適度に楽しみ、この世の楽しみを与え給うた神を賛美せよ」と言っているように、私には読めます。
トマス・ア・ケンピスの主張が「キリスト者的生活」だとすると、カルヴァンの主張こそは、まさに「キリスト教的生活」だと呼べるのではないでしょうか。私はそう感じます。
また、訳者による解説のうち「自己否定について」が特に興味深く読めました。自己愛の否定において、訳者の痛烈とも言える論旨が展開され、自己愛を認める立場を「異端」とまでに切って捨てます。実は解説が数十ページもあるんですが(全体の3分の1が解説だったりする)、この解説がまた読み応え十分なのです。
我々キリスト者は、この世にあっては天国に向かって旅をする巡礼者である。この本を読むと、それこそが「キリスト教的生活」の中心なのではないかと思えました。改革派に限らず、全てのプロテスタントの信徒が読むべき名著であると思います。安価ですが装丁もしっかりしています。また、冒頭に記されているカルヴァン自身の祈りも、必読です。是非皆さんもどうぞ。